高雄市の新幹線駅のインフォメーションセンターでは、若い男女2人の担当者が同時に起立して迎えてくれた。無料案内所なのに席を立って迎えてくれる、この「礼」には感動した。台北に戻る列車では、車内販売のワゴン車を押す女性の対応が心にしみた。期待していた名物のお弁当は品切れだったが、「申し訳ございません」と謝る彼女の表情から伝わってきたのは、「がっかりさせてごめんなさい」という相手へのいたわりの気持ちだった。

中国から日本へ、日本から台湾へ

台北の友人は、「自分を低くして相手を立てる、自分が我慢することで相手を喜ばせる――これを生活の中で実践することで、『今日はいいことをやった』という幸せな気持ちになれるのです」と話していた。

台湾の政治家を祖父に持ち、自ら儒学的研鑽を積む法律家の高居宏文氏はこう語っている。

「台湾での『儒学の精神』は、1949年の国共内戦を経て蒋介石とともに台湾に渡りました、儒学を学んだエリートたちがもたらしたといわれています」

台湾は、1895年に日清戦争の講和条約(下関条約)により清国から日本に割譲され、1945年の敗戦まで半世紀にわたり日本が統治したが、当時の台湾では日本の民間人を通して「生活の中の儒学の実践」を吸収したとも言われている。高居氏は「日本が台湾を統治した時代、『自分はへりくだり、相手を立てる』という社会秩序を維持するために最も必要な在り方を、日本人が無意識にも生活の中で示してくれたのです」と話している。

日本では、江戸時代を通して武家を中心に学問としての儒学が取り入れられ、その後、明治時代には儒学の忠孝思想が取り入れられた教育勅語が1890年に公布された。中国で生まれた儒学が日本に伝わり、日本で受容された儒学はさらに台湾に渡り、今なお人々の生活や行動規範に影響しているのは大変興味深いものがある。

伝統思想は失われると思ったが…

毛沢東が推し進めた文化大革命(1966~76年)によって、中国の伝統的な思想や価値観は破壊されてしまった。儒学思想もまた破壊の対象となった。しかしその後、1978年から始まった改革開放を経て、中国の価値観も大きく変わった。

中国の改革開放後に提唱された「中国の特色ある社会主義」は、マルクスレーニン主義、毛沢東思想に西側の資本主義的な市場経済概念を取り入れた中国共産党の公式思想だが、ここには政治、経済、思想文化、社会建設など多岐に及ぶ内容が、概念に基づき定義づけられている。