「やりたいことがない首相」の怖さ

【佐藤】「やりたいことがない首相」というのは、ほっとするどころか逆に怖いと思うのです。「真空」ですから、周囲にあるものを深く考えずに吸い込んでしまう危険性がありますから。

さきほどの学術会議の問題は、吸い込んだというより、意図せぬ「もらい事故」のようなものでしたが、私はそういう怖さが早くも表出したな、と感じました。「もらい事故」だから、最初は動揺が隠せなかった。でも、徐々に風向きが変化しました。

安倍さんには、「コアな右派」という応援団がいました。彼らは、国家観の見えない菅さんからは、いったん離れたわけです。ところが、「任命拒否」で突っ張る姿を目にして、「菅さんもやるじゃないか」という感じになった。菅総理の側からすると、「私が任命権者として判断した」と言い続けているうちに、新しい権力基盤ができたような感覚を持ったのではないでしょうか。そうすることに、漠然とした「政治主導」の意味を見出すことになったのです。

【池上】その結果、学問の自由への介入という「予言の自己成就」に至ることはないのか、と佐藤さんは危惧するわけですね。現実には、学術会議の民営化を俎上そじょうに載せるなど、そういう方向に舵が切られつつあるように見えるのですが。任命拒否された先生の教え子たちが、就職に響かないか心配を抱くなど、教育現場の動揺も問題になりました。

東京大学
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なぜ「自分で判断した」と言ってしまったのか

【佐藤】最悪なのは、フェイクニュースも含めた学術会議に対する攻撃がネット空間に拡散することで、1933年に文部省が京都帝国大学教授の滝川幸辰を一方的に休職処分に追い込んだ滝川事件で、口火を切り、滝川教授を追放した蓑田胸喜のような人物が「活躍」できる環境が生まれることです。政権が直接手を下さなくても、現場は委縮し、結果的に自由な学問、研究が阻害されることになりかねません。

【池上】それにしても、「もらい事故」だったことは割り引くにしても、学術会議の問題が発生して以降の菅さんの「答弁」は、かなり問題ですね。「自分で判断した」といいながら、「本を読んだ加藤陽子さん以外は知らない」と言うのですから。ではどうやって判断したのか、という話です。

【佐藤】あれには、天皇機関説を痛烈に批判した徳富蘇峰を思い出しました。美濃部達吉の論文は読んでいないけれど、天皇機関説などという用語を口にすること自体、「日本臣民として、謹慎すべきものと信じている」と、彼は主張しました。