ロシアのプーチン政権が21年目に入った。政権基盤は強固ながら、反体制活動家のアレクセイ・ナワリヌイ氏がカリスマ的な人気を誇るなど、国内は不満もくすぶる。そうしたなか、クレムリンは若者らの批判をかわそうと、旧ソ連の大物スパイ、リヒャルト・ゾルゲを利用しはじめた——。
リヒャルト・ゾルゲ、ソビエトの主要スパイ
写真=ullstein bild/時事通信フォト
リヒャルト・ゾルゲ 旧ソ連の大物スパイ、日本滞在中の1938年頃

ナワリヌイ氏を支持する若者らの反乱に直面

戦前の東京でスパイ網を構築し、最高機密情報をモスクワに送った旧ソ連の大物スパイ、リヒャルト・ゾルゲが、ロシアで今、脚光を浴びている。「ゾルゲ通り」や「地下鉄ゾルゲ駅」が登場、各地に銅像が作られるなど、新たな名誉回復を思わせる。

ゾルゲ事件は戦後、日本で強い関心を呼び、100冊以上の書籍が出版されたが、現在は関心が低下した。これに対し、ロシアでは長年無視されていたゾルゲの評価が一気に上昇、機密文書の解禁もあり、ゾルゲ本が次々出版されている。

情報機関出身者が中核を占めるプーチン政権が、ゾルゲを愛国主義のシンボルに位置づけているかにみえる。欧米の経済制裁や封じ込めに遭い、国内では反政府指導者ナワリヌイ氏を支持する若者らの反乱に直面するクレムリンは、ゾルゲを利用して若者の愛国教育を図ろうとしているようだ。

情報機関の影響力が高まり、ゾルゲが「第2の復権」へ

「20世紀最大のスパイ」といわれるゾルゲは、ドイツ人の父とロシア人の母を持ち、共産主義に傾倒してドイツからモスクワに移住、コミンテルン(国際共産党)活動に従事した。ソ連軍参謀本部情報総局(GRU)にスカウトされ、3年間スパイとして上海に勤務。1933年から日本に舞台を移し、逮捕される1941年10月まで8年間活動した。

日本では、ゾルゲ機関をフル稼働させ、ドイツ軍のソ連侵攻、日本軍の南進という二大スクープなど多くの機密情報をモスクワに通報した。しかし、日米開戦前に官憲に逮捕され、1944年、盟友の朝日新聞記者、尾崎秀実とともに処刑された。

戦後、ゾルゲはソ連で無視され、1965年にようやく名誉を回復したが、関心は低かった。しかし、プーチン時代に情報機関の影響力が高まる中、第2の復権が進み、戦後75周年の昨年は、メディアで取り上げられ、英雄扱いとなった。