実家に戻り平穏な人生を望んだが、元毒親の母は認知症に……

夫と義両親との関係を清算し人生をやり直そうとした白石さんだが、新たな障壁が現われた。母親だ。

父親は1991年、白石さんが36歳のときに65歳で亡くなった。

当時61歳だった母親は喫茶店で働いていたが、1995年に喫茶店が閉店。以降、母親はシルバー人材センターの事務を始めた。

2000年、親戚の法事に出るため、白石さんは母親とともに車で向かったが、途中、高速にのる前にトイレを済ませたにも関わらず、母親は車の中で漏らしてしまう。その頃から母親は、シルバー人材センターの仕事を「難しい」と言って断るように。同じ話を何度もするようになり、白石さんが指摘しても、意に介さない。

2003年1月に白石さんが離婚して戻ってくると、母親はそれまで一人でできていたことも、全くやらなくなっていく。

「母は、私をこき使うようになりました。整形外科の受付の順番を取るために、朝早くから診察券を入れてこい。時間がきたら整形外科まで連れて行け。習い事に送って行け、早退するから迎えに来い。食事の準備をしろ、台所の排水が詰まったから直せ、エアコンや換気扇の掃除をしろ……。私は子どもの頃からずっと、母から支配されていて、母の顔色を窺いながら母の機嫌を先読みして動くのが常になっていました。それでも母のことが大好きで、母に気に入られるような良い子でないといけないと思い、何度か母が反対する恋人とは別れ、母が勧める人と26歳で結婚。すべては、私の幸せを願ってのことだと信じていました……」

49歳になった白石さんは73歳の母親の世話のため営業の仕事を辞めた

2003年12月。白石さんが仕事に出ていると、突然母親から電話がかかってきた。

「私なあ、昨日から病院に泊まっているんやわ。ごぼうが喉に詰まって、お隣さんに電話して救急車で運んできてもろてなあ。医師に家族を呼べと言われたのですぐに来て欲しいんやけど」

ごぼう
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当時、営業の仕事をしていた白石さんはその日、隣の県まで出張していた。急いで家へ帰り、入院の準備をして病院へ向かう。

医師には、「年末年始にまた食べ物を喉に詰めたら困るので、年明けまで入院してもらいます」と言われ、看護師には、「お母さん認知症でしょうか? 昨晩暴れて、ここがどこかわからないみたいなことを言っていました」と聞かされた。

「当時私は、何となく母の異変に気付いていました。でも現実を直視したくなくて、家にいるとこき使われるのが煩わしくて、仕事に打ち込み、出張を口実に、週に2~3日しか家に帰っていませんでした」

2004年1月。母親がごぼうを喉に詰まらせた原因はわからなかったが、退院が決まる。

母親は73歳。49歳になった白石さんは、「もう母を1人にしておくことはできない」と思い、母親の世話をするため営業の仕事を辞めた。