いつもぼんやり目立たなかった大石内蔵助
ここでひとつ、例をあげましょう。
江戸の中期、元禄時代に、大石内蔵助という人がいた。
大石は赤穂藩という藩の家老だったんだけど、あだ名は「昼行灯」。行灯は夜に灯すもので、昼間に灯してもしょうがない。いつもぼんやり目立たず、何のためにいるのかわからないような人物、という評判だった。不名誉なあだ名で呼ばれていたのです。
そこに事件が起こる。
藩主・浅野内匠頭が江戸城内で刀を抜き、上役の吉良上野介に斬りつける、という刃傷沙汰を起こした。この件で藩主は切腹。さらには、お家取り潰しとなってしまった。これは、会社の経営者が急に更迭されて、倒産するようなもので、解雇される藩士(社員)たちにとっても一大事です。
しかも、その刃傷沙汰の相手である吉良にはいっさいお咎めなしだった。
浅野が一方的に吉良を斬りつけたのは、もちろん悪い。しかし、江戸城内で刀を抜くなどという暴挙に出たのには、それ相応の理由があったはず。「喧嘩両成敗」の考え方にも反するということで、大石以下赤穂藩士の人びとは、憤慨した。
ここから大石内蔵助の活躍が始まる。
「藩主の恨み、晴らさでおくべきか」と憤る藩士らをまとめあげ、自分を先頭に、四七人で吉良上野介の屋敷に討ち入り、その首を討ち取ってしまう。その後、幕府の処分で、全員が切腹を命じられた。
この事件は大評判になり、歌舞伎でも上演された。「忠臣蔵」といえば、お正月の映画やスペシャルドラマの定番でした。
「有事」に役立つのが、教養という問題解決能力
冷静に見れば、物騒な「暗殺事件」と言えなくもないのですが、ここで言いたいのは、大石内蔵助のリーダーシップです。
もしも、藩主の切腹、お家取り潰しという事件が起こらなかったら、きっと大石は目立たない「昼行灯」のまま、人生を終えていただろう。それが、お家の一大事となったとたん、リーダーとしての抜群の能力を発揮した。周囲のひとにはみえなかった潜在的な能力が、緊急事態で、一気に開花したのです。
江戸時代は天下泰平、平和な時代でした。武器をとって戦うのが本業のはずの武士が、事務方に回り、のんびりサラリーマンのような生活を送っていた。
これは私の推測だけれども、きっと大石はのんびり日常の業務をこなしながらも、いったん事あれば自分がリーダーとしてどう行動するかの、イメージトレーニング(覚悟)があったのではないか。
この大石内蔵助の例は、教養というものの性質を表していると思うのです。
赤穂には、山鹿素行という優れた学者がいて、儒学を講義していた。大石や藩士たちはそれを受講していた。素行の学問は政治や戦争や、緊急事態の場面でどう行動すべきかのべている。それが彼らの教養の基礎だったと思われる。
「答えのない問題」にぶち当たるのは、いわば「有事」。そのときのために、教養という問題解決能力を、日頃から培っておきたいものです。