この世に「完全に中立な人」はいない

この世に、「バイアス」がゼロという人はいません。

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写真=iStock.com/microgen
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どんなに公正で中立的な人でも、何かしら偏った見方をするものです。「わかったつもり」というのも一種のバイアスだし、「リベラル」「保守」だってバイアスだ。

「客観的事実」を報道するのが仕事の新聞だって、実際のところ、バイアスから自由ではありません。

たとえば朝日新聞。良心的な紙面づくりで、信頼をえている全国紙です。

その朝日新聞が、戦前は、戦争行け行けドンドンの新聞だった。戦争の旗振り役だった。今からは想像もつきませんけれど。

まあ、朝日だけでなく、当時の新聞はおしなべてそうだった。

戦後、朝日新聞は、これを深く反省した。そこで、つとめて良心的な新聞になったのです。何かにつけ政府に噛み付くのは、それはそれでバイアスではある。

これは責められるべきものではない。各紙に「編集方針」があるでしょう。朝日には朝日の、読売には読売の編集方針。それだってバイアスです。

そこで当然、何が紙面に書かれているかにはずいぶんと違いが出てくる。

教養で「思い込み」から自由になれる

つまり、新聞に書かれているものは「事実」ではあるが、それをどう報じるか、どう評価するかには、各社それぞれの考え(バイアス)がある。そう思って新聞に接するのが正しい姿勢です。

これが書籍となればなおさらです。

本は基本的に、一人の著者が書いている。ということは、その本は、その著者のバイアスに従って書かれていると思って読むのが正しい。個性的な本に、どんなバイアスがあるかを発見することが、読書の醍醐味のひとつと言ってもいいでしょう。

いろんな本を読むごとに、いろんなバイアスを知っていく。こんなバイアス、あんなバイアス、……。完全にバイアスフリーになることはできないけれども、いろんなバイアスを知れば知るほど、いろんなものの見方ができるようになって、そこから自分なりの考え方がかたちづくられる。

読書はそのためにある、と言ってもいいぐらいです。