「便利さより豊かさ」「機能より情緒」「効率よりロマン」へ

このムーアの指摘を別の言葉で言い換えれば、それは「文明と技術によって牽引される経済」から「文化とヒューマニティによって牽引される経済」への転換ということです。私たちの高原社会を、より鮮やかに彩ってくれるようなモノやコトを生み出し、それを交換することによって、経済を駆動していくということです。それは「人間性と経済、ヒューマニティとエコノミーが一体化した社会」となるでしょう。

仕事
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このようなコンサマトリーな社会においては、「便利さ」よりは「豊かさ」が、「機能」よりは「情緒」が、「効率」よりは「ロマン」が、より価値のあるものとして求められることになるでしょう。そして、一人一人が個性を発揮し、それぞれの領域で「役に立つ」ことよりも「意味がある」ことを追求することで、社会の多様化がすすみ、固有の「意味」に共感する顧客とのあいだで、貨幣交換だけでつながっていた経済的関係とは異なる強い心理的つながりを形成することになるでしょう。

市井の人々が「衝動」からモノやコトを生み出す社会

それはたとえば……

・市井の人々が、あたかもアーティストが衝動に突き動かされて作品に関わるように、それぞれの活動に関わってモノやコトを生み出していく社会です。

・放っておけない世の中の問題を見つけ、それを解決することをビジョンとして掲げる人や組織に、共感する人々が集まって高いエネルギーを放射する社会です。

・目的意識を欠いた無限の成長というナンセンスを求めるような組織には誰も集まらず、誰もが自分のペースで夢中になれる仕事に没頭する社会です。

・見せびらかしや優越のためでなく、自分の生活を真に豊かで瑞々しくしてくれるモノやサービスを購入し、それらによってまた自らの感性や知性も育んでいく社会です。

・未来のために今を、あるいは組織のために個人を犠牲にしろと強迫され、人の尊厳が蔑ろにされることのない社会です。

・困難にある人が置いてけぼりにされ、周囲の人が罪悪感をもちながらも「構っている暇などないから」と俯いて見て見ぬ振りをしなくても良い社会です。

・誰もが自分が住みたい場所に住み、働きたい仲間と働いて、労働の喜びを感じられる社会です。

・子供たちが、資本主義社会の効率的で高機能な部品となるために、ではなく、高原の社会をより豊かで瑞々しいものにするための創造性を育むために、教育が行われる社会です。

・経済成長のためではなく、美しい風景のなかで人々が人生を送るために、さまざまな公共の開発・投資が行われる社会です。