仕事が楽しくないのは、なぜだろうか。独立研究者の山口周さんは「レストランを例に考えるとわかりやすい。シェフの最大の喜びはお客さんの笑顔だ。だが、多くの仕事は消費者の笑顔が見えなくなっている。『顔の見える関係』を取り戻さなければ、働く喜びも回復しない」という――。

※本稿は、山口周『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

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写真=iStock.com/Minerva Studio
※写真はイメージです

効率のいい分業は、「労働の喜び」を毀損してしまう

金銭のことをファイナンス=Financeと言いますが、ここで用いている「ファイ=Fi」は「ファイナル=Final」の「ファイ=Fi」と同じ、ラテン語の「終わり」という意味です。お金を払うことで他者との関係性をチャラにして終わりにする、ということです。

価値を生み出す労働プロセスを細かく分けて分担すると個別作業の練度が高まって生産性が上昇します。いわゆる「分業」という概念をはじめて社会に紹介したのは、アダム・スミスの『国富論』です。

この本の冒頭において、スミスは、ピン工場の思考実験を用いて分業がいかに生産性を高めるかを説明しています。そして実際にはスミスの予見通り、この生産様式が普及したことで生産性は飛躍的に向上し、それが産業革命へと接続されていったわけですが、スミスは同時にまた、この生産様式の普及によって、労働から得られる喜びは著しく毀損されてしまうだろうということも、よくわかっていました。

スミスは同著のなかで、分業によって、自分の能力以下の仕事を果てしなくやらされることになった労働者は「愚かになり、無知になり、精神が麻痺してしまう。彼らは理性的な能力も、感情的な能力も失い、ついには肉体的な活力さえも腐らせてしまう」(『国富論』第五編第一章より)と書き残しています。

スミスの「感情的な能力を失う」という指摘はそのまま、前節において紹介したチクセントミハイの「ほとんどの人が自分の感情について無感覚になっている」という言葉を思い起こさせます。

重要な課題は「労働の喜び」の回復

このような状態はまた、企業組織の競争力を毀損させる要因にもなっています。今日、多くの企業ではモチベーションがもっとも重要な経営資源になっていますが、物質的不足が解消し、これ以上、報酬を増加させても生活水準や幸福感はさして増進しないということが誰の目にも明らかになってしまっている以上、これは当たり前のことでしょう。

私たちが迎えつつある高原社会では、物質的不足よりもむしろ、精神的孤立あるいは精神的飢餓が大きな課題となっています。このような社会にあっては「生産者」と「消費者」の接触面積を拡大し、両者を「顔の見える関係」にすることで、「労働の喜び」を回復していくことが重要な課題となるでしょう。

もし、このような関係性を、社会の多くの場で回復することができれば、それはまた同時に「消費者にとっての喜び」をも増大させることになります。