生産者と消費者の「顔の見える関係」づくりをする

どういうことでしょうか? 先述した通り、生産者と消費者が顔の見える関係にあれば、生産者は、自分の生み出したモノ・コトによって喜ぶ消費者を見て、喜びを感じます。しかし、それだけではありません。実はこの時同時に、喜ぶ生産者を見ることはまた、消費者にとっての喜びでもあるからです。そしてそのような関係性にある生産者と消費者を見ることは、枠外にいる他者にとってもまた喜びでしょう。喜びがエコーのように反射していくのです。

現在の分断社会において、このような関係性がもっともわかりやすく成立しているのがレストランと常連客の関係です。シェフにとって、自分の労働から得られる最大の喜びは、支払われる代金などではなく、テーブルで顧客が交わす「美味しい!」という声であり、花のように咲く笑顔でしょう。

そしてまた常連客にとっては「美味しい!」と伝えた時に見られるシェフが見せる喜びがまた、同時に自分にとっての消費の喜びとなっているのです。最終的にはもちろん、顧客は代金を支払ってその場の取引を閉じるわけですが、そこで支払われている代金は「等価交換によって関係をチャラにする」というよりは、むしろ「感謝のしるし」として、あるいはもっといえば多分に「贈与」のニュアンスを含んだものになります。

料理
写真=iStock.com/gilaxia
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「等価交換」という言葉は矛盾している

哲学・思想の世界ではよく「贈与」と「交換」とを対になる概念として整理・考察します。これは言語ゲームとしてはなかなか刺激的で面白いのですが、先ほどの考察からもわかる通り、社会におけるやりとりを考えてみれば両者には連続的なグラデーションがあってそれほどきれいに分けられるものではありません。

そもそも「等価交換」という言葉からして概念が矛盾しています。取引に必ずなんらかのコストがかかる以上、「等価」であれば交換するインセンティブがないからです。「交換」は「交換されるモノ」に「価値の差分」がなければ発動しません。

主体者が獲得する「価値」は、モノによって得られる効用によって合理化されることもあれば、交換という「行為そのものから得られる喜び」という効用によって合理化されることもあります。そして、生産者にとっては、消費者から与えられる経済的報酬と精神的報酬が、次の生産に向けた資源となって、活動を駆動することになります。