もしかしたら、自分は更迭されるのではないか?
事件が起こったのは、二〇一五年一〇月五日月曜日夜のことだった。
祝日の関係で一〇月一五日号は通常より一日早い水曜日発売となり、通常火曜日の最終校了は月曜日に繰り上がっていた。
「はい、校了しました。お疲れさま」
新谷学編集長が、最後まで待機していた記者と担当デスクに声をかけた。
その直後、編集局長の鈴木洋嗣が新谷に向かって言った。
「新谷くん、松井さんが待っているから、社長室に行って下さい」
校了直後で疲労困憊している編集長を、社長が待ち構えているというのだ。いい話であるはずがない。
胸騒ぎがした。
最近は部数も苦戦している。もしかしたら、自分は更迭されるのではないか?
文藝春秋本館四階にある社長室には、応接室と会議室を兼ねた部屋が隣接されている。広いテーブルの角の椅子に座った新谷の前に、松井清人社長が先週号の『週刊文春』のグラビアページを開いて置いた。
男女の性交を陰部まで克明に描いた「春画」
「新谷、これをどう思うんだ?」
「はあ、春画ですね」
細川護熙元首相が理事長をつとめる美術館「永青文庫」(東京・文京区)が開催した「SHUNGA 春画展」が大きな話題を集めていた。ちょうど文春新書から車浮代『春画入門』が発売されることもあって、新谷は春画展を大きく扱うことにした。
細川護熙と車浮代から談話をとり、作家の高橋克彦と永井義男、国際日本文化研究センター特任助教の石上阿希が、春画の観賞術や江戸時代の人々が春画をどのように見ていたかを解説した。林真理子には連載エッセイの中で春画展を取り上げてもらい、まんが家の伊藤理佐にも探訪ルポを描いてもらった。
カラーグラビアでも大きく扱った。二匹の蛸が女陰と口を吸う葛飾北斎の「喜能会之故真通」と、男女の性交を陰部まで克明に描いた歌川国貞の「艶紫娯拾余帖」である。
セクション班とグラビア班を横断した充実した企画に仕上がった、と新谷は満足していた。
だが、松井社長の見解は大きく異なっていた。