CIAやFBIが一部文書の公開延期を要請?
暗殺事件関連の文書は計約500万ページに上り、同法に沿ってこれまでに88%以上の文書が全面的に、11%は一部黒塗りで機密を解除され、ワシントン郊外の国立公文書館で公開されている。
残りの3200点の文書も2017年10月に解禁が予定され、トランプ大統領は「JFKファイルの全面公開は明日だ。非常に興味深い」とツイートしていた。
ところが解禁されたのは2890点で、残る約300点の公開が突然延期された。1992年の法律は、「国家安全保障上の理由で大統領は公表を見送ることができる」としており、CIAや連邦捜査局(FBI)が大統領に一部文書の公開延期を要請したためとみられてきた。
しかし、大統領はその際、「文書秘匿が適切かどうかを2021年10月26日までに再検討する」としており、公表の是非をバイデン次期大統領が判断することになる。
多くの歴史家らはすでに、文書の全面公開を求めている。上院議員として1992年の文書公開法を支持したバイデンは、高校時代から敬愛する大統領の悲劇の真相解明に動く可能性が強い。
オズワルド単独犯行説が虚構であるのは確実
筆者は20年前、テキサス州ダラスのデーリー広場を訪ねたが、現場を見ると、オズワルド単独犯行説が虚構であることがすぐに分かった。オズワルドが撃ったとされる教科書ビル6階から現場の道路まで80メートル以上あり、街路樹が邪魔をしていた。海兵隊で射撃の成績が悪かったオズワルドが、1発撃つたびに手元のレバーを引くイタリア製旧式ライフル銃で6秒間に3発発射し、動く標的に命中させたとは思えない。
しかし、オープンカーの右前方、グラシーノールと呼ばれる垣根からはざっと30メートルで、十分狙える距離だ。現場にいた90人のうち、警官を含め60人以上がグラシーノールから発砲があったと証言した。写真家のザプルーダーが撮影した8ミリフィルムでも、致命傷となった銃撃で大統領は後方に反り返っており、前方から銃撃があったことが分かる。
事件の2日後、オズワルドがナイトクラブ経営者のジャック・ルビーにダラス警察署で射殺されたこと、車列が無防備で、パレードのルートが前夜変更されたことと併せ、陰謀があったのは確実だ。