近年の新研究で注目される「キューバ・コネクション」

暗殺の黒幕については、CIAや軍産複合体、マフィア、旧ソ連、ジョンソン大統領から宿命のライバルだったニクソン大統領に至るまで多くの臆測を呼んだが、近年の情報公開や新研究で注目されているのが「キューバ・コネクション」だ。

1961年のケネディ政権発足後、CIAが亡命キューバ人部隊によるカストロ政権打倒を試みた「ピッグス湾侵攻作戦」、旧ソ連が弾道ミサイルをキューバに配備した「キューバ危機」など、キューバが米国の安全保障の重大な脅威となった。そのためCIAはカストロ首相の暗殺工作を進めたが、逆に大統領がキューバによって暗殺されたというシナリオである。

近年の情報公開で、オズワルドは暗殺の2カ月前、メキシコ市を旅行し、ソ連とキューバ大使館を訪れていたことが判明した。オズワルドはキューバ大使館でケネディ暗殺に言及していたことも、FBIの報告書に書かれていた。

CIAの内部メモでは、カストロ首相は暗殺事件の2カ月前、ハバナでAP通信記者と非公式に話し、「米国の指導者が私を消そうとすれば、彼も安全ではなくなる」と警告していた。カストロは自身の暗殺計画を察知し、報復を示唆したともとれる。

ケネディ暗殺は「ピッグス湾侵攻作戦の報復」という見立て

マッコーンCIA長官が内輪の協議で、「カストロは恐ろしく乱暴なことを話しており、(暗殺は)能力の範囲内だ」と語っていたことも判明した。

元上院情報特別委のスタッフだった作家のジェームズ・ジョンストンは2019年秋に出版した『殺人株式会社 ケネディ政権下のCIA』という著書で、ケネディ暗殺はピッグス湾侵攻作戦の報復としてキューバが計画。ジルベルト・ロペスという米国在住キューバ人が犯人で、オズワルドはおとりだったと指摘した。ロペスは事件当時23歳で、暗殺当日ダラスにおり、同日深夜テキサスからメキシコに入国。4日後にメキシコ市からキューバに航空機で移動した。乗客はロペスただ一人だった。暗殺の4日前、ケネディがフロリダ州タンパを訪れた時も、ロペスはタンパに滞在していたという。

サングラスをかけたジルベルト・ロペス
画像提供=米国立公文書館
ケネディ暗殺犯として浮上したキューバ人、ジルベルト・ロペス

ただし、ロペスの人物像や、暗殺当日ダラスで何をしていたかなど核心の部分は書かれていない。FBIはオズワルド同様、ロペスを不審な人物として事件前から調査しており、近年の情報公開で顔写真や関連文書が公表されている。

だが、ジョンソン大統領やウォーレン委員会は、キューバ関与説が高まれば、国民がデマで扇動され、ソ連を刺激して新たな核戦争の危機を招きかねないことを憂慮し、オズワルド単独犯行説をとったとされる。