「民主的な戦時経済体制」を敷いた国はなかった
今回の危機では、民主的な戦時経済体制を敷いた政府は存在しなかった。
しかしながら、歴史を振り返ると、アメリカは1917年〔第一次世界大戦に参戦したとき〕に民主的な戦時経済体制を敷いていた。国防総省が存在しなかった当時、エネルギーと食糧の生産を管理するための権限がアメリカ政府の各省庁に付与されたのである。この体制により、アメリカは民主主義を危機に晒すことなく2年間で経済生産を20%増加させることができた。
第二次世界大戦中、アメリカの戦時生産委員会は、戦時経済のために軍需産業への転換を指揮しただけでなく、それらの部門で生まれた利益や超富裕層への税率を上げることも是認した。検閲、敵国の出身者の逮捕、そして共産主義者の追放などがあったにせよ、アメリカの民主主義の機能が根底から揺らぐことはなかった。また、イギリスは戦時経済をさらにうまく機能させた。
期待はずれとなったアメリカとイギリス
とはいえ、アメリカやイギリス以外の今日の民主国で戦時経済の響きがよくないのは当然だろう。たとえば、ドイツ、イタリア、日本などでは、忌まわしい記憶が甦る。フランスでも同様だ。フランスの戦時経済は、第一次世界大戦時はある程度の成功を収めたが、1940年以降は占領軍に資する役割を担ったからだ。
今回のパンデミックが始まったとき、私は民主的な戦時経済を熟知しているはずのアメリカとイギリスなら、すぐに経済体制を整えて、マスク、人工呼吸器、検出キットを大至急で生産するだろうと思っていたし、そう願っていた。両国は「命の経済」の利益を理解していると思っていたのだが、そのような動きは起こらなかった。
戦略が欠如した各国の政策
アメリカ政府は今回、冷戦時に制定された法律である国防生産法(DPA)を適用した。これにより、民間企業を戦略的な部門へと誘導するための資源配分が可能となり、民間企業に医療物資を生産するように要請したり、これらの製品の輸出を禁止したりできるようになった。しかし、これは本腰を入れたものでも一貫性のあるものでもない。
オーストラリア政府は、新型コロナウイルス感染者数がまだ250人だった段階で「戦時内閣」を設置したが、これもまた一貫性と合理性に基づく全体計画を欠いたものだった。
「生き残りの経済」から「命の経済」へ
70年間にわたるウルトラリベラル漬けにより、国が断固として行動し、計画を立てようとする意欲と手段はすべて失われた。そして数年来の監視テクノロジーの進化、ノマディズムの進行、不安定な生活を送る社会層の増加により、民主主義を保護する必要性、そして民主主義のもとで包括的な計画を立てようという動きが疑問視されるようになった。即時の成果、不安定な生活、利己主義が世の中の規範になったのである。
しかしながら、今は「生き残りの経済」から「命の経済」へと移行すべきときだ。今こそ、「放置された民主主義」から「闘う民主主義」へと移行すべきである。
「闘う民主主義」の五原則
「闘う民主主義」が掲げるべき五つの原則は以下の通りだ。
1.代議制であること。
選出される議員と指導者は、国の社会層全体を反映していなければならない。
2.命を守ること。
そして、国民の生命を守るには、「命の経済」へと移行する必要がある。
3.謙虚であること。
今回の危機から明らかになったのは、いかなる権威であってもわからないことはあるという点だ。当局は自分たちが全知全能でないことを認め、疑問と疑念、とくに未来に関することを国民と共有しなければならない。批判的な意見や対立する提案が盛んに巻き起こるのを妨げず、耳を傾け討論すべきだ。こうした謙虚な姿勢の必要性は、野党、ジャーナリスト、コメンテーター、専門家(自称「専門家」も含む)にも当てはまる。
4.公平であること。
あらゆる危機は最貧層に最大の影響をおよぼす。そして政治は、現状と今後訪れる状況を耐え得るものにするために、社会正義の必要性をまずもって認めなければならない。まずは税負担の公平性だ。とくに、超富裕層に重税を課すことを拒否するようでは、民主主義は生き残れないだろう。超富裕層のなかには、今回の危機で資産を増やす者さえいるだろう。
5.将来世代の利益を民主的に考慮すること。
将来世代にはまだ選挙権がない。そのため、現世代は将来世代の利益をどのように考慮すべきかを把握し、下すべき判断の緊急性を加味して、これらの見解を巡って議論する必要があるだろう。
これらの原則は各国の事情に応じて異なる形で適用しなければならないだろう。