スミス『国富論』で1回しか出てこない言葉……“神の見えざる手”
エリザベス女王が2008年のリーマンショックの際、ロンドン経済大学の経済学者たちに発した「これだけの経済学者がいて、なぜこれほどまでに巨大な危機を予見できなかったのですか?」という辛辣な質問から、本書はスタートする。彼らが女王に送った3ページに及ぶ回答文書は、要するに「ちょっと油断していました」としか書かれておらず、世界中の失笑を買った。
ドイツの経済ジャーナリストである著者が本書で一貫して訴えているのは、次の2つ。すなわち「現在、経済学の主流となっている新古典派経済学者たちの理論や主張が世界を混乱に陥れている」、そして「アダム・スミス、カール・マルクス、ジョン・メイナード・ケインズの3人が残した理論と洞察は現在でも有用である」というものだ。
新古典派経済学者はよくアダム・スミスの「見えざる手」をもちだして「自由市場」を擁護するが、著者は「これほどまでに文脈から切り離され、誤解されている経済学用語はない」と言い切る。新古典派が幅を利かせる今日、アダム・スミスは「国家は邪魔な存在であり、自由な市場こそが効率を実現する」という御託宣を述べた「市場原理主義」の教祖のように考えられている。
しかし著者は、その解釈は誤りであり、「見えざる手」という言葉は、アダム・スミスの主著『国富論』において、実は1回しか使われていないと指摘し、注意を喚起する。アダム・スミスが「競争と自由市場」を擁護したこと自体は間違いない。しかし、それらを支持することで「何と戦おうとしていたのか」はほとんど知られていない。
当時のイギリスは地主や富豪が市場と価格を牛耳っており、取引には常に独占と賄賂とコネと談合が付いて回っていた。アダム・スミスは、このような既得権益者が市場を牛耳っている限り、富の偏在は是正されず、社会の生産性は停滞してしまうと考え、これらの悪弊を打破するために「競争」と「自由市場」の重要性を訴えたのだ。現在、一般にアダム・スミスの経済理論を批判するのはリベラルの側だが、19世紀前半においてアダム・スミスを批判していたのは保守側だった。そして、このアダム・スミスの「社会厚生主義」がそのままマルクスへ、そしてケインズへと継承されていく様を本書は時間軸を追って記述していく。
本書の表題の3人の理論は、「終わった人」として大学ではほとんど教えられていない、と嘆く著者は、何よりも重要なのは、彼ら3人が本質的な問いを立て、現実の世界を見渡し、それを説明する骨太な理論を立てた、ということであり、その理論は現在の主流派経済学者よりも多くの示唆を与えてくれる、と主張する。選者もまたその意見に激しく同意するものである。一読をすすめたい。