「“しない”ということをする」ことになった

人間社会が重大な危機に晒されるたび、その成員たる個の再定義が進む。

ダイアナ・レナー、スティーブン・デスーザ『「無為」の技法』(日本実業出版社)
ダイアナ・レナー、スティーブン・デスーザ『「無為」の技法』(日本実業出版社)

私たちが「行動変容」という耳慣れぬタームを聞いたのは、まさにそんなときだった。新型コロナウイルスの感染拡大と最前線で闘う専門家や政治家は、「人々の行動変容なくしてパンデミックの収束はない」と語った。

地域の、国の、世界の感染という大きな絵を把握するため、顔も名前も人生もある人間一人ひとりはポツンと1つの「点」となる。公衆衛生の観点から社会を見るとはそういうことだ。感染拡大を阻止するには点の動きを止め、物理的な触れ合いを止める必要がある。政治や文化によって「自粛要請」だったり「外出禁止命令」だったりと語気に強弱と濃淡はあるにせよ、人々はみな「行動」を「変容」させ、「“しない”ということをする」ことになった。

だがこれまで行動し、更新し、拡大成長することに全リソースを注ぎ込んできた現代文明だ。「する」が是である価値観において、「しない」は等価な選択ではなく、ゼロや欠如であるとネガティブに認識される。パンデミックが炙り出したのは、「しない」に対する、人々の偏執的とも呼べる拒絶だった。