相手が音をあげるのを待つチキンレース
その案件に対しては我々も非常に愛着があるし、Aさん以外の関係者に悪い感情はない。だが、Aさんは本当に不快な存在だ。こうした際に何が起こるかといえば、Aさんと我々の間で「『どちらが先にキレてしまうか』を競うチキンレース」が始まるのである。
Aさんの態度からは、私とY嬢に対する不信感や憎たらしさが明らかに滲んでいる。私とY嬢も、Aさんを憎いとまでは言わぬまでも、バカだとは思っている。こうした状況にはこれまで何度か遭遇してきたのだが、私とY嬢はそのたびに「そろそろ相手が音をあげるころだろうな」というのをかなりの精度で予測できていた。おそらく、現場担当者のAさんよりも、職位が上の人々の考えていることをこちらは適切に理解している、という実情があるからだろう。
まさに「相手が撤退する、手じまいするのを待つチキンレース」なのだが、我々はこれまでに2回、この勝負に勝っている。担当者はいつしかメーリングリストから名前が消えて、次の担当者がやってくる。この新しい担当者と良好な関係を築くことができれば、また仕事は平和裏に続いていく。
大切なのは納得感。だから、自分本位でいい
ちょっと趣味が悪いかもしれないが、我々2人は「今回も『○○さん辞めろ~!』の呪いが通じちゃったね」と苦笑しあい、「呪い」を弊社の定款に加えようと相談したことさえあった。「呪い」という言葉が不気味に感じるなら、「言わぬが花」と言い換えてもいいかもしれない。「担当者、変わってくれないかなぁ」などと呪いにも似た感情を抱くことはあっても、こちらから積極的に状況を変えるべく動くことは、ギリギリまでしないということである。我慢すれば、相手のほうから撤退してくれることもあるのだから、限界まで待ち続けるというアプローチがあってもいいはずだ。
「やりきった」「何の未練も後悔もない」「もう自分は通用しない。降参だ」と考えたのであれば、「撤退」という選択はアリだ。だが「まだ続けたい」という気持ちがほんの少しでもあるなら、その仕事を安易に手放さないほうがいいだろう。業務に関わる相手が気に食わないのであれば、その人物が撤退するのを待つ、というのも重要な戦略のひとつである。
どのような選択をするにせよ、自分が本心から納得できているかどうかが、もっとも肝要になる。誰のものでもない自分の人生なのだから、究極的には、どんなに自分本位な選択をしても構わないのだ。そのほうが、選択をした結果が吉と出ても凶と出ても自分のなかで折り合いがつけられるし、他人を責めながら毎日を過ごすような、惨めな思いをしないで済む。
・「生涯現役」という価値観を持つのは、本当に幸せなのだろうか。「できるだけ早い段階で仕事を手じまいする」という美学もあるはずだ。
・ネットニュース編集、PRプランニングの仕事は、もう十分やった。もはや何の後悔も未練もないので、セミリタイアする。
・新型コロナ禍で得たのは、パートナーと2人で暮らす喜びである。
・少しでも迷いがあるなら、仕事は続けるほうがいい。