カネを稼ぐには文章を書く必要がある
ホワイトカラーの労働者にとって、「文書/文章をつくる」ことは仕事の基本要件のひとつである。正直、これらを生み出す業務によって収入の5割は成り立っているのではなかろうか。
いや、「5割」の根拠は明確なものではないのだが、「いつでも、わかりやすい書類をアウトプットできる」ことは、ビジネスパーソンにとってかなり大きな強みになるのは間違いない。「説得力のあるプレゼン技術」「卓越したコミュニケーション能力」「相場を読み切る力」「いま現在のはやりを見極める審美眼」「奇想天外なアイデア」なども確かに重要ながら、そうしたスキルを実務に落とし込むにあたっては、文書作成能力が不可欠になる。ビジネスのあらゆる場面に書類が付いて回るという現実は、言い換えるなら「カネを稼ぐには文章を書く必要がある」ということにほかならない。
現在、私はネット記事を月に800~900本ほど編集し、自らも著者として40本ほどの原稿を執筆している。また、それら以外に広報関連の企画書も書いている。今回は、そんな私がいかにして「文章」「文書」を作成しているのか、ポイントやコツをまとめてみようと思う。
その文章のなかでもっとも言いたいことは何か
文章を書くにあたり、まずやるべきは「『その文章のなかでいちばん言いたいことが何か』をひとつだけ決める」ことだ。一例として、私がこれまで書いた文章のなかから「いちばん言いたいことを伝える」という執筆意図がわかりやすい原稿をひとつ、紹介しよう。2017年6月、日刊ゲンダイに寄稿した舛添要一氏の著書『都知事失格』(小学館)の書評である。
記事が新聞からウェブへ転載される際に付けられたタイトルは「読めば読むほど著者が嫌いになる不思議な良書」だ。この文章で私が特に言いたかった箇所を引用してみる。
〈弁が立つだけに、一瞬同情しかけそうになるものの、突然自慢や他人への攻撃がその後入り、その同情心が失われるという、まさに「自爆テロ回顧録」である。具体的な自慢をするにあたり、まず青島幸男、石原慎太郎、猪瀬直樹がいかに仕事をしなかったかを糾弾し、「東京都知事で北京とソウルに行ったのは18年ぶり」「美術にここまで詳しい政治家はめったにいない」と自らを誇るのだ〉
当時の舛添氏の状況を補足しておくと、公用費をセコく使ったことが批判され、都知事を辞任した後にあたる。同書において舛添氏は、言い訳を徹底的に並べ立てながら、そこに自慢話や武勇伝をちりばめ、さらには自分にとって「敵」と認定した者をたたいている。その様が実に面白いのだが、読めば読むほど舛添氏が嫌いになっていくという妙な側面のある本だった。舛添氏としては「オレ様があのまま知事であり続けたら、どれだけよかったか。お前ら、この本を読んで思い知っておけ!」と言いたかったのだろう。だが、まったく逆の効果をもたらすような内容だったのである。
だから、書評の最後にこう書いた。
〈本文の最後で「衆愚政治のツケは、都民が払う」と書き、小池百合子氏に投票した都民を見下すが、あなたももともとはテレビ芸人だから政治家になれたわけでしょうよ。読めば読むほど舛添氏が嫌いになる不思議な良書である〉