“百姓から城主へ”を叶えたわらしべ長者人生

「うちは今、三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)に入っていますが、傘下企業の社長会に出ると、みなさん出身高校の話をしている。何でだろうと思ったら、半分以上が東大卒なんです。で、ぼくは多摩美卒。漫才のオチみたいな話です」

<strong>カブドットコム証券取締役代行執行役社長 斉藤正勝</strong><br>1966年、東京都生まれ。<br>89年多摩美術大学卒業後、野村システムサービス入社。第一証券、伊藤忠商事を経て、99年に日本オンライン証券(現カブドットコム証券)を設立。01年カブドットコム証券執行役員、その後最高業務執行責任者、代表取締役COOを経て04年代表執行役社長。05年3月東証一部上場。現在は、取締役代表執行役社長。
カブドットコム証券取締役代行執行役社長 斉藤正勝
1966年、東京都生まれ。
89年多摩美術大学卒業後、野村システムサービス入社。第一証券、伊藤忠商事を経て、99年に日本オンライン証券(現カブドットコム証券)を設立。01年カブドットコム証券執行役員、その後最高業務執行責任者、代表取締役COOを経て04年代表執行役社長。05年3月東証一部上場。現在は、取締役代表執行役社長。

美大卒の平社員からカブドットコム証券社長へ。齋藤正勝氏の18年間は、自ら語るように「わらしべ長者人生」そのものだった。

出発点は野村証券系のシステム会社。親を安心させるための就職だった。同期は皆、理系出身で情報処理関連の資格を持ち、SE(システムエンジニア)として採用されたが、無資格のためプログラムを入力する夜勤のオペレーター職。

「ゼロどころかマイナスからのスタート」だったというが、本人は、

「自分もSEになりたいといい続けながら、毎日会社で合間に資格のための勉強をしました。戦国時代の百姓が侍になりたいと刀を振り回してアピールしたようなものです」

と屈託ない。

3年かかって晴れてSEへ。「頑張りキャラで人の倍働いた」が病気でダウン。原因不明の腹痛で入退院を繰り返し、居づらくなって27歳で退職した。再就職先を求め、次々履歴書を送った証券会社はバブル崩壊後でどこも不採用。苦境を知って推薦状を書いてくれたのは前の職場の上司だった。

第一証券のシステム部門に採用される。ここでも「自分はこんなことがしたい」とアピールし続けて3年目、チャンスが到来する。各支店にパソコンをセットアップする「誰もが嫌がる仕事」に手を挙げたのだ。