“百姓から城主へ”を叶えたわらしべ長者人生
「うちは今、三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)に入っていますが、傘下企業の社長会に出ると、みなさん出身高校の話をしている。何でだろうと思ったら、半分以上が東大卒なんです。で、ぼくは多摩美卒。漫才のオチみたいな話です」
美大卒の平社員からカブドットコム証券社長へ。齋藤正勝氏の18年間は、自ら語るように「わらしべ長者人生」そのものだった。
出発点は野村証券系のシステム会社。親を安心させるための就職だった。同期は皆、理系出身で情報処理関連の資格を持ち、SE(システムエンジニア)として採用されたが、無資格のためプログラムを入力する夜勤のオペレーター職。
「ゼロどころかマイナスからのスタート」だったというが、本人は、
「自分もSEになりたいといい続けながら、毎日会社で合間に資格のための勉強をしました。戦国時代の百姓が侍になりたいと刀を振り回してアピールしたようなものです」
と屈託ない。
3年かかって晴れてSEへ。「頑張りキャラで人の倍働いた」が病気でダウン。原因不明の腹痛で入退院を繰り返し、居づらくなって27歳で退職した。再就職先を求め、次々履歴書を送った証券会社はバブル崩壊後でどこも不採用。苦境を知って推薦状を書いてくれたのは前の職場の上司だった。
第一証券のシステム部門に採用される。ここでも「自分はこんなことがしたい」とアピールし続けて3年目、チャンスが到来する。各支店にパソコンをセットアップする「誰もが嫌がる仕事」に手を挙げたのだ。