次の一手の議論すらない危機意識とは
北海道の鈴木直道知事は法的な権限がないまま、先手を打って任意で緊急事態宣言を行い道民に行動の自粛を呼びかけた。早すぎるのではとのタイミングで行ったこの宣言が、感染抑止に大きな効果を発揮した。これを政治的英断と言うのだろう。
感染拡大を阻止するために韓国は個人情報を犠牲にして、スマホ上で感染者を特定できるシステムを作り上げた。台湾はマスクの流通に国家が直接介入した。中国は国家権力でロックダウンを強行した。フランスやイタリアは法律に基づいて外出禁止命令を出した。個人の権利を強制的に制限し、違反者には罰則まで課している。それでもいまだに感染を押さえ込めないでいる。
日本は国民の命を守るためにどこまでやるのか。いまだにほとんど議論されていない。安倍首相の肝いりで実現した布マスクの全戸配布は、海外メディアに「アベノマスク」と揶揄される始末。日本的な緊急対応策は国際的な嘲笑の的になっている。
穏やかな日本方式で新型コロナとの戦いに勝てれば、それに越したことはない。これで勝てれば日本方式は世界から称賛されるだろう。そうなることを心から望んでいる。
だが、欧米ではコロナとの戦いを最初から「戦争」と位置付けている。それぐらい難しい戦いということだ。米国では膨大な資金を賄うために「戦時国債」の発行が検討されている。
日本方式が打ち破られオーバーシュートが起こった時、いったい誰が責任をとるのか。日本方式を否定しているわけではない。だが、最悪の事態を想定した手だては、緊急事態宣言と並行して検討すべきではないか。
損失補填をともなった店舗の強制閉鎖、マスクの国家配布、交通の遮断、企業活動の制限など、現状ではそれを可能にする法律がない。それ以前に議論すらないのである。宣言を出した安倍首相も小池知事も、今度は歩調を合わせて「ロックダウンはない」と強調している。ひょっとすると、これを聞いた新型コロナウイルスはほくそ笑んでいるかもしれない。