無心になるために山を一人で歩き続けた
興味深いのは彼の早すぎる晩年、集団競技ではなく、また勝敗という判断基準のない登山に熱中していたことだ。前出の『宿澤広朗 運を支配した男』(講談社)によると、最初は仲間と出かけたが、しばらくすると単独で山に出かけていたという。
登山を始めたのは彼が三井住友銀行の常務執行役員、大阪本店営業本部長時代である。この時期、三井住友銀行は不良債権の処理という問題を抱えていた。その一つが「松下案件」と呼ばれるものだった。
松下グループの「松下興産」は、創業者である松下幸之助が興した不動産会社だった。松下の後、彼の血筋に連なる人間が社長を務めてきた、松下グループの「聖域」だった。この松下興産が、8000億円近い有利子負債を抱えていたのだ。この巨額の負債は本体である松下電器産業にも影響を及ぼす可能性があった。三井住友銀行は松下興産に1830億円の融資を行っていた。これらは銀行にとっては不良債権となっていた。金融庁は不良債権処理を各銀行に急がせていた。創業家の絡んだ松下興産の不良債権処理は、三井住友銀行にとって逼迫した問題だった。
松下興産は、新会社を設立し一部事業を移した後、残りは売却、解体された。メインバンクである三井住友銀行は半分に近い融資残高を放棄したといわれている。銀行内でも極秘扱いされた重要案件を抱え込んだ、宿沢は無心になるために山を一人で歩き続けたことだろう。
人間には多面性がある。本来の彼は一人になったときに安らぎを感じる種類の男だったのかもしれない。銀行員という仕事とラグビーを両立した彼の突出した「個」の強さは、集団競技であるラグビーのSIDでは片付けられない。ラグビーと出会わなければ、どんな人生を歩んでいたのだろう。大学ラグビーのスター選手であった彼が、山で亡くなったという事実には長い余韻がある。