二代目レガシィのクレームが初代の5分の1に激減
新車のレガシィが売れないわけではなかったのだから、利益を出すには構造改革しかない。原価を低減し、生産性を向上する。トヨタであれば「トヨタ生産方式」という生産性向上の文化があるから、売れ行きが落ちても利益がなくなることはない。富士重工の人間だって原価低減、生産性向上という言葉は知っていたけれど、カイゼンをやり続けるという体質ではなかった。川合は自ら先頭に立って、徹底的な認識と実行を部下に命令、強要したのである。
まず、手を付けたのは品質の向上である。開発したクルマを量産する場合、ひとつの部品の不具合が他の部品に影響を与える。
「量産しても品質を維持できる部品を使う」
「ラインのなかで品質を作り込む」
「検査過程で不具合のあるものはすべて出荷しない」
品質の向上とは基本的なことを守ることにある。川合は生産現場に行って、チェックした。幹部と会議をするだけでは、品質向上の文化ができるとは考えなかったからだ。こうして、川合が目を光らせたため、初代レガシィのクレームは三年後には半減し、二代目レガシィではクレームが初代の時の五分の一にまで減った。その分、対策費がかからなくなり、コストが低減できたのである。
「いい車だからこれくらいのコストは仕方ない」を排除した
次に手を付けたのは設計段階の原価低減だった。
一九九〇年の秋に社内に自動車部門経営対策会議というものができた。同社はバス、産業機械、飛行機部門を持っていたから、自動車部門と名前はついていたが、実質的には売り上げの過半を占める乗用車のコストを抑えるための対策会議である。マイナーチェンジを控えたレガシィだけでなく、軽自動車のレックス660(新規格車)、さらにはバンタイプのサンバー660も含めた、全車種の開発、量産コストを安くすることが目的だった。
川合は席上で、何度も「VAの徹底」を唱えた。
「品質を落とさず、部品を作る。協力会社を泣かすな。知恵を使ってコストを抑制しろ」
知恵とはつまり、部品の共通化、設計の仕様や材料の見直しだ。そして、協力会社の社員にもVAの提案をつのった。
「いい車だからこれくらいのコストは仕方ないじゃないか」という考え方を排除したのである。
その後のVAの歩みは次のようになっている。
②九四年からはSCI(サイマル・コスト・イノベーション)活動が始まった。前述のMCIとSPSを包括し、さらに全体のVAをすすめていくコスト低減を進化させた社内運動である。