「ふざけるな、席を変えろ」と怒鳴った

川合は販売の第一線では怒鳴ることはなかった。にこにこと話しかけ、自分から頭を下げて、相手のやる気を引き出したのである。ディーラーの社長たちと顔を合わせるパーティが開かれた時、会場を下見した川合は血相を変えて怒鳴った。

「オレは上座じゃないか。ふざけるな、席を変えろ」

従来、富士重工の社長はディーラーの社長よりも上座に座るのが通例だった。だが、川合は入り口近くの末席に自分の席を持ってきたうえで、担当の人間を呼び、今度は静かに説いた。

「いいか。ディーラーの方々はお客さまだ。お客さまがいちばんいい席に座るのが当たり前だ」

そうして、彼はディーラーの社長たちの心をつかみ、全国の店舗を回った時もディーラーの従業員ひとりひとりに声をかけ、「何か問題はないか」と問いかけた。たとえば「こうしてほしい」と要望があったとする。川合はその場で本社の担当に電話をかけ、その場で答えるようにした。

前任の田島が自動車好きだったとはいえ、興銀出身の社長はそこまではしない。川合は自動車会社の人間の心理や体質をよく知る男だったのである。

バブルで世の中が浮かれる中、憂鬱な状況だった

川合が販売の人間のモチベーションを引き出したことで、レガシィは好調に推移した。発売当初から目標台数を突破することができた。ただ、問題はあった。目標台数は売っていたにもかかわらず、収益には貢献していなかった。つまり、売れても利益にならない新車だったのである。

原因は開発費用が高コストになってしまう構造だったことにある。川合が原価低減を唱えても、すでに開発に投じていた費用が多額だったのである。また、発売してすぐのころは車両に不具合が起こる。手直しするには対策費がかかる。そして、不具合が続けば次第に、ユーザーから支持されなくなり、結果的に売れなくなってしまう。同社の社史には悲痛な調子でこう書いてある。

「課題は明白だった。再建を果たすためには、目前のレガシィの出血を止め、これを断ち切らないといけない。そこでまず、レガシィの品質向上とコスト構造の見直し、加えて不具合の撲滅を、収益向上に向けてのターゲットとした」

一九九〇年、世の中がバブルで浮かれていた時、富士重工の社員は憂鬱な状況のなかにいた。高級車が売れていた業界大手とはまったく違う世界にいたと言っていい。