川合を尊敬する生え抜き社員は次のように思い出す。

「川合さんは偉かった。人員整理はしなかった。資産の売却もしなかった。その代わり、徹底的に『入るを量り出ずるを制す』政策を取った。じつは、うちの会社は技術優先だったこともあり、現場の原価をわかる人間が幹部にいなかった。原価低減というと、協力会社に電話をかけて『安くしろ』と値段を叩くだけだった。部品原価は安くなるのですが、製品の質は落ちる。川合さんは図面にある部品が適格かどうか、その値段がまっとうかどうかまでひと目でわかる経営者でした」

幹部には「辞表を書け」でも作業者には礼を尽くす

川合が導入したのがVA、つまり、バリューアナリシスのシステムだった。品質を落とさずに原価を低減し、それを管理するシステムである。メーカーであれば、自動車会社ならば、当然、あるべきシステムなのだが、富士重工は前身の中島飛行機以来、新車開発には惜しみなく金をつぎ込む体質だったため、いつの間にか開発費用が増えてしまっていた。それを川合は怒った。

同じく富士重工のエンジニアは言う。

「川合さんは社長室に閉じこもるのではなく、会社やディーラーなど、あらゆる場所に姿を見せて陣頭指揮を取るタイプの社長でした。何しろ、現場からの叩き上げみたいな人だから、ひとりで工場に出かけていって質問する。テストコースに来て試作車にも乗る。そして技術者に『スイッチ類の隙間がこんなに広かったら、女性はどうする? 爪が割れてしまうじゃないか』と指摘して怒る。

富士重工のエンジニアは、いい車を作ることは考えていたけれど、ユーザーが欲しいものは何か、何を喜ぶかということについては無頓着でした。それを徹底的に叩き直されました」

また、ある幹部は「あの人でうちの会社は変わった」と言っている。

「現場のことをわかっていない幹部や管理職はバカ呼ばわりですよ。そのうえ『こんなことをやっていたから赤字になったんだ』と怒鳴られ、『この場で辞表を書け』ですよ。役員会でも一度、ありました。辞表を書け、と怒鳴って、そのまま会議室を出て行っちゃいました。あとで会長の田島さんが連れ戻しましたけれどね。でも、それほど猛烈で怖い人だったのに、現場の作業者や販売店の人には礼を尽くして、腰が低い。とても人気がある人でした。ディーラーのセールスマンを売る気にさせるのが上手でした」