ノートを書くのは、反省し成長するため

それにしても私は、なぜノートを書くのか。

栗山英樹『栗山ノート』(光文社)

論語』に「性は相近し、習えば相遠し」との教えがあります。人の性質は生まれたときにはあまり差はないけれど、その後の習慣や教育によって次第に差が大きくなる、という意味です。学びには終わりはなく、学び続けなければ成長はありません。成長とは自分が気持ちよく過ごすため、物欲や支配欲を満たすためなどでなく、自分の周りの人たちの笑顔を少しでも増やせるようにすることだと思うのです。

その日の試合や人との触れ合いから何を感じ、どんな行動を取ったのか。それは、私たちの道しるべとなる先人たちの言葉に沿うものなのか。1日だけでなく2日、3日、10日と反省を積み重ねることで、自分を成長させていきたい。

私は弱い人間です。子どものころは次男坊のわがまま少年で、野球を始めたのは「我慢を覚えさせるためだった」と父に言われました。

大人になったいまも、「今日はこれができなかったから、明日はこうしよう」と心に留めておくだけでは実行に移せません。忙しいとか時間がないといったことを言い訳にして、つい自分を甘やかしてしまう。そうならないために、ノートに書いて一日を振り返り、読み返してまた反省をするようにしています。

来たるべき「時」に備えて準備を進めている

ノートに自分の思いを書く行為は、周りの人たちとどのように接したのかを客観視することになります。

私たち人間は、ひとりでは生きていけません。普段の生活でも仕事でも、家族や友人、先輩や同僚、名前は知らないけれど隣に住んでいる人、などと交わりながら生きていく。一日を振り返ることは他者との関わりかたに思いを馳せる時間であり、他人の良さを認めること、自分の至らなさに気づくことにつながります。人の話をわだかまりなく聞く「虚心坦懐」の心構えを、再確認することにもなっています。

中国古代の歴史書『書経』に「時なるかな、失うべからず」という言葉があります。チャンスを逃すなということですが、ノートに書くことは自分の行動を見つめ直し、課題を抽出することに結びついていきます。つまりは、来たるべき「時」に備えて準備を進めていると理解できます。