与野党がともに間違っているのではない
「立憲民主党など野党5党は、追及本部を設置した。関係省庁の担当者を呼び、事細かに問題点をあげつらった。衆参両院の予算委員会で首相出席の集中審議も求めたが、与党は応じなかった」
「野党は、安倍内閣のイメージダウンを狙い、政府・与党は野党の攻勢をかわし続けた。国会戦術上の駆け引きに終始し、本質的な議論は乏しかった。言論の府として、嘆かわしい」
読売社説の指摘する本質的議論とは、消費税引き上げの影響や党首討論の開催、憲法改正などの論議である。
読売社説のこの主張。一見すると、与野党がそろって党利党略の国会戦術に時間を費やした結果、肝心な国会審議ができなかったと喧嘩両成敗のように受け取れる。
しかし問題の本質は、安倍首相が桜を見る会という公的行事を私物化したところにある。しかも安倍首相は野党の質問にまともには答えていない。安倍首相が逃げるから、野党が追及する。安倍首相がきちんと答弁していれば、国会の政策論争は進んだはずだ。与野党がともに間違っているのではなく、与党を率いる安倍首相が間違っているのだ。
なぜ、読売社説はそう書かないのだろうか。読売社説はどこまでも安倍政権擁護なのである。
読売社説は「与野党はそれぞれの問題意識を表明しあい、議論を深めていくことが大切だ」と締めくくっているが、開いた口がふさがらない。
「今からでも遅くない。全てを明らかにして新年を迎えればいい」
12月10日付の産経新聞の社説(主張)は「臨時国会閉幕 役割果たしたとは言えぬ」と読売社説と同じように国会論議が不十分だったという趣旨の見出しを立てている。
しかし、政権に対する批判は忘れていない。どのような論調の新聞であろうと、政権批判はきちんと行うべきなのである。
「安倍晋三首相は在任記録が最長になったが、政権のゆるみが目立った。不祥事で重要閣僚2人が辞任した。説明責任が今も果たされていないのはどうしたことか」
産経社説の後半での指摘だが、安倍政権の問題は全て「ゆるみ」「たるみ」に由来する。「もり・かけ問題」も桜を見る会の問題もその根っこは同じである。最近だと、週刊文春(12月19日号)がスクープした「首相補佐官と厚生労働省女性審議官の不倫」の背景にも、安倍政権の「ゆるみ」「たるみ」が見える。
最後に産経社説はこう訴える。
「立憲民主党など野党4党は『桜を見る会』の問題追及のため40日間の会期延長を求めた。与党は災害、景気対応の補正予算案、令和2年度予算案の編成を急ぐとして拒んだ。内閣府による招待者名簿破棄などがあり、首相や政府側の説明は十分ではなかった。問題がないというなら今からでも遅くない。全てを明らかにして新年を迎えればいい」
沙鴎一歩もそう思う。国会の幕が閉じられたからと言って野党は究明の手をゆるめてはならないし、安倍首相は自ら進んで疑惑や問題に白黒を付けるべきなのである。