最後まで朝日社説は安倍政権を酷評する。

「国会を閉じ、年が改まれば、一連の問題も忘れられる――。首相はそう高をくくっているのかもしれない。しかし、政治権力が国民への説明を放棄した先に待っているのは、民主主義の土台の崩壊である」

「民主主義の土台の崩壊」。沙鴎一歩もこの1年の安倍政権と安倍首相の言動を振り返ってみると、そう感じる。

野党が政権の不祥事をただすのは当然だ

左派の朝日社説に対し、右派の読売新聞の社説(12月8日付)は首相主催の桜を見る会についてはこう言及する。

「功績を残した人々を慰労するのが本来の目的だが、首相側は地元後援会員らを多数招待していた。桜を見る会の趣旨に反しており、節度を欠いたとの批判は免れない。政府が開催基準の抜本的な見直しを決めたのは当然である」

この指摘はいいだろう。気になるのが「臨時国会閉幕へ 政策論議の劣化を懸念する」という見出しと、次の書き出しである。

「不祥事の追及に労力を費やし、与野党の政策論争は深まりを欠いた。憂うべき事態である」

「不祥事の追及」に労力を費やすことがどうして問題なのか。野党が国会で政権の不祥事をただし、政権として本来のあるべき姿を求めるのは当然である。それを「憂うべき事態」と断言する読売社説はいかがなものか。

次のくだりを読むと、読売社説がなにを憂えているかが分かる。