町田康『しらふで生きる 大酒飲みの決断』(幻冬舎)

しかし忘れてはならないのは、その瞬間は求めて得られるものではなく、不意に、偶然、訪れるものであり、また、楽しいことが起こるのと同じくらいの割合で苦しいことも起こるということで、つまり苦楽は均衡するということである。しかし楽しい時間は短く感じられ、また、人工的に楽しみを追い求めていると、楽しいことが楽しいと感じられなくなるし、苦しい時間は長く感じられるので、主観的には、人生は苦しいばかり、というのが実際のところなのである。

というと、そんなことを認めると人生があまりに惨めだ、と思い、やはり貪欲に楽しみを追い求めたい。限られた人生を有意義に生きたい、と仰る方がおられることと思う。しかしそれを乗り越えない限り、つまりその認識を改造しない限り、酒はやめられない。

普通の人間→普通、人生は楽しくない

さてその方法は、というと既に申し上げたように、「自分は特別な人間ではない→つまり普通の人間→普通、人生は楽しい」から、「自分は特別な人間ではない→つまり普通の人間→普通、人生は楽しくない」の過程を何度も繰り返すより他ない。

なぜなら、ともすれば自分は他の人と違う自分である、ということが、普通の人間、という点をつい忘れさせてしまうからで、このエクササイズを繰り返し行うことが認識改造の第一歩であり、何度でもここに立ち戻ること、これがなによりも重要なのである。

【関連記事】
酒をたくさん飲んだ翌朝、気分が落ち込むワケ
「お酒は少しなら体にいい」がちょっと違うワケ
「禁酒考えたことはない」吉田類の飲み方
こち亀「両津勘吉と作者のたった1つの共通点」
「あと10歳若ければ」と言い訳し続ける人の末路