なのに、「あの人は競技を楽しんで優勝した。ってことは楽しまないと優勝できないということで、ってことは優勝するためには楽しまなければならない、ってことで、それは逆に言うと楽しめば優勝できる、ってこと」と解釈する者がきわめて多いように思う。

「楽しむこと=善」、「苦しむこと=悪」なのか

しかし当人が、逆に言うと、と言っているとおりそれは話が逆で、原因と結果を逆転させて考えてしまっている。と言うと、まるっきりのアホのように聞こえるがスポーツのみならず他の分野にも此の手の話が多く、既に認められた芸術家が日々やっていることを聞き出し、そっくりそのまま同じことをやれば自分も同じような芸術作品を作ることができる、と信じる芸術家志望の人は多いし、ビジネスの分野で成功した人の経営哲学を学び、その哲学を実践すれば自分も巨富を築き、なに不自由ない生活ができる、と信じる人が少なくない。

けれども言うようにそんなことはまずない。なぜならそれはその人の身の上にのみ起きたことで、同じことをやったとしても別の人の身の上にはまた別のことが起きるに決まっているからである。

それは動いている船の上から水中にものを落とした。慌てて船端に印を付け、確かにここから落ちた、と言って捜すようなことでもあって意味が無い。という風に間違った方法論を信じる人が多いので、この、「楽しまないと優勝できない。優勝するためには楽しまなければならない」という考えは、人々に強い印象を残し、他の分野にも広がっていった。

或いはことによるとこれもまた逆で、そもそも人々のなかに、楽しむこと=善、苦しむこと=悪、という考えが言語化されない形で既に漠然とあって、それが著名な人の口から言葉として出たので急速に広がったのかも知れない。

「楽しむ」ことを過剰に求められる

とにかく理由はどうあれその考えが急速に広がったことには間違いがないようで、以前とは比べものにならないくらい、「楽しむ」という言葉を人が口にすることが多くなった。

例えば、以前であれば、旅行に出掛ける、となれば、大体は、「道中、お気を付けて」とか「水がかわるから腹をこわさないようにな」など無事と安全を祈る言葉を掛けたものだが、最近は大抵、「楽しんできてね」と言うようである。或いは、コンサートに出演するミュージシャンに声を掛ける場合なども、「がんばってね」と激励するのではなく、「楽しんできてね」と声を掛けることが多い。