再就職先は、やはり外資系。できれば、仕事に馴染んだ金融機関がいい。日本に進出している会社も多く、知人のツテなどを頼ればなんとかなるだろう。しかし、ほどなくして小川氏は、それが甘い考えだったことに気づく。自分の“ウリ”がなかったのだ。
「面接までいっても、その先をこじ開けることができない。何か大きな実績を残したわけでもないし、例えば、セキュリティ関係の仕事と管理はできますという程度。一生懸命に仕事をしてきて、管理職の肩書は手に入れましたが、それだけしかない。50歳を過ぎた自分を強くアピールする材料がまったくなかったことに気づいたんです。退職して8カ月後に、06年の正月を迎えたんですが、もっとも落ち込んだ新年でしたね」
幸い、3000万円割増退職金があったので生活苦に陥ることはなかったが、家計は節約した。再就職活動の最中は、英語力を生かして、翻訳のアルバイトなどをしていたという。しかし、暗い気持ちで迎えた06年になっても、就職先は見つからないでいた。やはり50歳を過ぎてからの再就職は厳しい。そんな現実を身に沁みて感じた。
最終的に、小川氏は退職したはずの会社に泣きついた。
「香港にでも、どこにでも行く気持ちで頼み込んだんです。やるべき仕事をよく知っていることもあって、運よく拾ってもらえました。年収は800万円に届いていません」
月並みだが、それでも仕事がないよりはましである。
香港に単身赴任中の小川氏は、「私のサラリーマン人生は、会社にぶら下がっていただけなんだとつくづく思いました」とため息をついた。
(荻野進介=構成 山下諭=文(ルポ))