小川正治氏(仮名)<br>
1953年生まれ。54歳。獨協大学卒業後、中堅商社に入社。その後、米国系金融機関を経て、欧州系の金融機関に転職。現在は香港オフィスに勤務。日本への帰国は、年3~4回だという。
小川正治氏(仮名) 1953年生まれ。54歳。獨協大学卒業後、中堅商社に入社。その後、米国系金融機関を経て、欧州系の金融機関に転職。現在は香港オフィスに勤務。日本への帰国は、年3~4回だという。

欧州系の金融機関に勤める小川正治氏(54歳・仮名)も、生活を揺さぶられた1人だ。

2004年秋、経理、システム管理など、会社の間接部門が、一部機能を日本に残して、翌年春に丸ごと香港に移転することが決まった。小川氏が所属していたシステム管理部門の機能は、ほとんど日本に残らないという。移転後の勤務先は、もちろん香港。家族を連れていくこともできる。だが、海外勤務ができなければ、割増退職金を受け取って退職するしかない。会社は、小川氏に二者択一を迫った。

「迷いました。当時、2人の子供は大学生と高校生ですから、家族みんなで香港に行くことはできません。行くとしても単身赴任になるのですが、問題は給料です。海外移転に伴って、年収はほぼ半減するというのです。要するに、人件費を含めてコストダウンをはかるのが会社の方針でした。教育費など一番お金のかかる時期に、給料が半分になり、しかも家族と離れ離れになる。本当に困りました」

結局、小川氏は、16年勤めた会社を辞める道を選んだ。

それまでの年収は、約1500万円。香港に赴任したとしても800万円程度の年収しか受け取れない。それならば、年収が半分になったとしても、国内で就職先を見つけたほうがいい。そう考えてのことだ。