「三位一体の改革」はどこへ消えた
小泉純一郎内閣や第1次安倍晋三内閣の頃には、国庫補助負担金改革や、税源の地方移譲、地方交付税改革を同時に行う「三位一体の改革」が叫ばれたが、権限を失うことになる霞が関の反対もあって、半ばで挫折。今ではまったく言われなくなった。
一方で、経済産業省を中心に「民間」への「支援」がどんどん拡大している。本来は民間が行うべき分野に、官が金を出している。金を出すと当然、口も出す。結局、政府部門の実質的な肥大化が進んでいる。かつては禁じ手だった個別企業への補助金も、円高対策や災害復旧を口実に事実上解禁され、官民ファンドを通じて出資するのが当たり前になった。
民間への過度の関与は、経産省の「仕事」を作ることになり、余分な公務員を抱えることになる。民に恩を売った高級官僚が、その見返りに、退官後、社外取締役やアドバイザーに就任するケースが目立っている。かつての「規制」を武器にした天下りが形を変えて続いているのだ。弱い企業ほど官依存を強め、補助金などをもらう結果、競合相手のまともな会社もダメにしていく。
税負担とサービスの相関関係が切れている
公務員の給与が諸外国に比べて高いという問題もある。公務員の給与が高いと言うと、自衛隊員や警察官は薄給で命を張っている、という批判を受ける。防衛職員など特別職約30万人と、人事院勧告で給与が引き上げられている給与法が適用される一般職28万人を一緒くたにするのは議論の焦点がぼける。
一般職の公務員給与は6年連続で引き上げられたが、建前は民間並み。民間では給与が上昇している感覚が薄い中で、公務員は着々と引き上げられている。国家公務員に準じて地方公務員の給与も上がる仕組みだ。
公務員の仕事からは基本的に収益は生まれない。サービスを受ける国民がその給与を負担しなければならない。人口減少が今後激しさを増していく中で、どうやって公務員の数を維持し、人件費をまかなっていくか。それには、「このサービスを提供してくれるなら、これくらいの負担は致し方ない」という国民や地域住民のコンセンサスが必要だ。
ところが、国は借金で歳出を賄うのが当たり前になってしまっており、サービスと負担の関係が見えにくくなっている。地方自治体にしても、地方交付税交付金制度のために、住民の税負担とサービスの相関関係が切れている。