「民間」の顔をした「官」は少なくない
また、2000年度には435万人の公務員がいて、それがおよそ100万人減ったことになっているのだが、実際には郵政民営化などの組織形態の変更に伴うもので、「民営化」と言っても政府が株式を持っており、職員の意識もまだまだ「親方日の丸」的である以上、実質的な政府部門と見ることもできる。東日本大震災で原子力発電所事故を起こした東京電力は、実質的に国有化されており、政府部門に加えることも可能だろう。
さらに、だいぶ統合が進んだものの、各省庁の外郭団体など特殊法人や、官民ファンドを含む政府出資の株式会社など、「民」の顔をした「官」も少なからずある。公務員が多すぎるので半減すべきだという論に賛成するわけではないが、日本が十分に「小さな政府」かというと、決して実態はそうではないだろう。
公務員の数をどうするかは、国の形をどうするのか、と密接に関わる。北欧の国々で人々が高負担高福祉を受け入れているのは、広い国土と厳しい自然環境の中で、個人だけで生きていく事が難しいからだ。
日本やアジア諸国のように、自然が比較的穏やかで、人口密集度が高い場合、お上に依存しなくても「自助」「共助」で成り立っていく。むしろ「民間」ができることは「民間」に任せるというやり方の方が、効率的だというのがここ二十年来の「民営化」に旗が振られたベースだろう。
災害時の人手をどう確保したらいいのか
もちろん、それで良いのか、という問題も出てきている。これだけ自然災害が大きくなると「官」の役割がどうしても必要になる。政府本来の役割とも言える。その人材をどう確保するのか、これ以上、公務員を減らしたら災害時に人手が全く足らなくなる。そうした事態が全国で起きている。
また、北朝鮮問題や台頭する中国の軍事プレゼンスに対処するために、自衛隊員や海上保安庁職員、警察官などを増やさざるを得ない環境に直面している。
特に地方自治体は深刻だ。地方で急速に進んでいる人口減少が「官」の役割に大きな問題を投げかけている。人の数が減り人口密度が薄くなると、行政の効率性はどうしても落ちる。
平成の大合併で役所の数が減ると、地域の問題に目が届かないだけでなく、役場から地域に出掛けるにも時間と労力がかかるようになった。行政サービスの質を落とさないようにするには、人員が必要になるが、財源は乏しい。
本来、行政サービスは、その地域から上がる税収で賄うべきだが、長年日本が進めてきた中央集権政策のため、国がいったん税金を集めて税収を再分配する地方交付税交付金制度が根付いてしまっている。1765ある地方自治体のうち、国からの交付金を受け取らないで済んでいるのはわずかに86。ほとんどの自治体が財政的に自立できずに「国頼み」になっているのだ。