「異常な状態は変えなくてはいけない」という教え

先ほど、満員電車は「異常」と述べたが、これを初めて指摘されたのは予備校の講師からだった。私が大学受験のために通っていた予備校の最寄り駅は、小田急線の東北沢駅もしくは京王井の頭線の池ノ上駅だったが、どちらも朝は超満員状態である。

くだんの予備校講師はこう言った。もう27年も前の話だ。

「キミたちは無自覚のうちに、世の中のいろいろなことを『そういうものだ』と受け入れてしまっているだろうが、それではいけない。たとえば、満員電車。今朝もあの満員電車に乗ってここに来たと思うが、あれは異常である。異常な状態は、変えなくてはいけないのだ」

「そういうもの」と思考停止にならず、異常だと感じるものに対しては「異常だ」と声を上げ、改善するための努力をしなければならない──そう教えたかったのだろう。

東京一極集中により首都圏の人口は膨張の一途をたどり、多過ぎる人々を決まった時間に運ぶには満員電車にならざるを得ない、という概況はわかる。だが、「そういうもの」と受け入れるしかないのだろうか。私は、違うと思う。

たとえば「定時」勤務を廃止してみる

たとえば、「定時」の概念をなくすことにより、この状況はかなり緩和できるのではないだろうか。「8時30分~17時」「9時~18時」「10時~19時」など、職場によって定時は異なるだろうが、これからは「各人が本当に行く必要がある時間に出社し、必要な業務を終えたら退社する」ということを、これまで以上に意識してはどうだろう。10時台に電車に乗れば、かなりの確率で座れるようになる。

私は最近、某社に週1日だけ勤務しているが、明らかにその日の業務は終わっているのに、「定時前である」という理由だけでオフィスに残っている人が、思いのほか多いことに気づいた。定時の17時30分を前にした16時30分ごろから、雑談をしていたり、ネットを見ていたりしている人が妙に目につくのだ。そうした姿を見るたび、「今日の仕事はもう片づいたんでしょ? だったら、16時30分で帰っても問題ないでしょ?」と、本気で思う。

まあ、こんなことを言うと「もしも17時5分になって、その人に急遽きゅうきょお願いしたい仕事や、取り急ぎ確認したい事柄が発生したら困るじゃないか」と指摘する声が上がりそうだが、アルバイトのように「時給」換算で給与が発生している人以外は、自分でタイムマネジメントをしてもいいではないか。

「あ、Aさん、今日はもう帰った? それじゃあ明日、依頼しよう」「とりあえず、メールを送っておこう」「これだけは早く確認したいから、電話してみるか」で済む場面も少なくないはずだ。