「大人は立派」なんて大嘘
幼い頃、「大人は立派なもの」だと思っていた。「大人はそれなりの分別と常識をわきまえた存在であり、だからこそ子どもは大人の言うことを聞かなければならないのだ」といったことを教えられた記憶もある。
だが、自分が実際に大人になってみてわかったのは、決してそんな立派なものではない、という事実だ。わかりやすいところでは、昨今話題の「あおり運転」だろう。いい大人が感情をコントロールできず、運転で怒りや苛立ちをあらわにする。痴漢や下着泥棒は「ムラムラして、つい……」と犯行動機を語り、街中や電車内で暴力行為に及ぶものは「ムシャクシャした」などと供述する。これのどこが「立派」なのだろうか。むしろ、子どもよりも未熟である。
自分のことを振り返ってみても、「酒はやめろ」と何度言われても飲んでしまうし、酒量がかさんで数年に一度くらいは路上で寝てしまったりもする。まったくもって、バカである。
いい年こいて「痛い」ヤツがいる
かくして、大人といえども一概に立派ではないことを日々痛感しているわけだが、最近、「大人の中二病」とでも評すべき、くだらない自意識をこじらせたバカな大人が想像以上に多いと、改めて感じるようになった。
大人でも「ずぼら」「怠惰」「信頼感がない」「嘘つき」「約束を守らない」「ドタキャン癖」といった自分本位な一面が目につく人は少なくないし、度が過ぎれば呆れられたり、距離を置かれたりするものである。ただ「大人の中二病」の場合、周囲は「この人、いい年こいて、なんでこんなに『痛い』の?」と感じて、呆れるよりも憐れみを覚えてしまうのだ。
この「大人の中二病」について話を進める前に、「中二病」について軽く説明しておこう。まずはWikipediaからの引用である。
また、ニコニコ大百科では「症状」として「愛想が無くなり孤独を好むようになる(いわゆる“孤高”)」や「突然ブラックコーヒーを飲みだす」などの振る舞いを紹介し、こう解説する。