「多様性の尊重」は厳しさを伴うもの

社会的に望ましい「ただしさ」に背くような価値観や言説を目にしたときにこそ、「多様性を尊重すること」の大切さと厳しさを再認識させてくれる。自分にとって心地よいもの、社会にとって整合的なものばかりを選んで包摂することが「多様性」や「寛容性」なのではない。むしろ逆である。それは社会を「ただしさ」を基準にした「単一性」へと導くものであり、その単一性は「ただしくないもの」とされた人びとへの冷酷な排他性をあわせ持っている。

「ただしいものだけを認めて、受け入れていけば、社会はきっとよくなる」――そんな無邪気な世界観の裏で「ただしくないもの」とされた人びととの分断は深まり、社会は次第にその安定性を失っていく。その萌芽は、西欧・北欧諸国における極右の台頭や、米国を席捲したトランプ旋風といった形であらわれはじめている。

御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』を2018年11月に刊行。Twitter:@terrakei07。「白饅頭note」はこちら
(写真=iStock.com)
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