仕事は「より怒る人」が優先される

このとき、私はすべてを悟った。仕事とは「より怒る人を優先してやるべきものなのだ」と。そしてA氏にとって、上司のジェニーから怒られることは最大級の苦痛であり、自身のポジションを維持するためにもジェニーだけは絶対に怒らせてはならないと考えていたのだろう。

この「ジェニーが怒るんです!」という言葉を聞いた瞬間、私の脳裏には自分のつくる書類を待つ日系企業Bの営業担当の顔が浮かんでいた。「このB社用の書類を今日中に完成させず、『明日送ります』と言っても彼は怒らないだろう。でも、ジェニーは数時間後に書類がないとめちゃくちゃ怒るのだろうな。だったらジェニーのための仕事を優先しよう。Aさんを窮地から救おう」──そう判断した。

「怒られたくない」を行動原理にする人が多すぎる

電話越しのA氏が心のなかで「ああもう、どうしよう、ジェニーに怒られる。ジェニーは私のことを無能だと周囲に言いふらすかもしれない……」などと脅え、なかばパニック状態に陥っているであろうことは容易に想像できた。そこで私はAさんに「わかりました。ジェニーが怒ったら大変ですからね。他の仕事は後回しにして、Aさんの仕事を最優先でやります」と伝えた。A氏は「ありがとうございます……」と、ようやく安堵したのだった。

仮に私が「Aさん、さすがにこの時間から『やれ!』と言われても、無理なものは無理ですよ。せめて今日の夕方までに言ってくれたなら対応できたかもしれませんが、提出期限まであと数時間しかないじゃないですか。私はX社以外のクライアントも担当しています。いまは他のお客さまの書類をつくらないと、先方に迷惑がかかってしまうのです」などと返したとしよう。

その結果、何が起こるか。おそらくは後日、A氏が私の上司や営業担当に「中川さんはあのとき、私がどんなにお願いをしても、何ひとつ対応してくれなかった」「書類が用意されなかったことにジェニーが激怒して、その後の業務が滞った」などと告げ口をする可能性が高い。

結局、私もA氏から、そして上司や営業から、怒られたくなかったのである。

これが「人は怒られたくないから仕事をする」と考えるようになった、原点ともいうべき体験だ。あれから19年経った現在でも、これは真理だと感じている。何しろ、仕事でやり取りをしていると「怒られたくない」を行動原理にした言動をとる人間が多過ぎるのだ。