社会的「経験則」としての妥協

われわれが日々の暮らしの中で素早い決定をするために、あらゆる行為の徹底的な費用対効果分析を行うかわりに使っている認知の近道を、意思決定の研究者は「ヒュリスティック(簡便的意思決定、経験則)」という用語で表している。ノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院教授で、「経営の倫理と意思決定」を教えているデイビッド・メシックは、人々が社会的環境の中で、ひとつには対立を小さくするために即座の決定を行うときに用いる経験則を「社会的ヒュリスティックス」と呼んでいる。人間は片方がより多く払ったり受け取ったりしてしかるべきときでも、よく折半にする(レストランの勘定など)と、メシックは述べている。

同様にネゴシエーターも、「足して2で割る」のが最善の策だからではなく、そのような社会的ヒュリスティックスが面倒を減らしてくれることを経験的に知っているがゆえに、妥協する傾向がある。ハーバード経営大学院のキャスリーン・マクギン、スタンフォード経営大学院のマーガレット・ニール、コーネル大学ジョンソン経営大学院のベータ・マニックスの3人は、人間関係が交渉にどのような影響を及ぼすかを調べたメタ研究で、ネゴシエーター同士がきわめて親しい場合には、彼らはその関係に対する配慮から、トレードオフによる創造的利益を模索するよりも妥協を選ぶということを発見した。その結果、きわめて親しい相手と交渉する場合には、単なる知人と交渉する場合より価値のパイを大きくする可能性が低くなる。

「会計不祥事」の防止策も妥協の産物

エンロンとアーサー・アンダーセンの破綻は、監査人が、なにがなんでも顧客企業の機嫌を損ねてはいけないと感じていたことにも一因があったと、多くの専門家が考えている。なにしろ、00年にエンロンがアンダーセンに支払った額は、会計監査料が2500万ドル、それに加えてコンサルティング料が2700万ドルだった。

会計監査というものは、企業の会計慣行の正当性について、株主に独立した立場からの評価を提供するために存在している。独立性がなければ、監査人は存在する理由がない。

ところが、現在のアメリカのシステムでは、監査人は顧客企業に毎年雇ってもらいたいと考えているし、また、監査法人は、顧客企業に監査と併せてコンサルティング・サービスなどを提供することによって金銭的利益を得ているし、個々の監査人は顧客企業で職に就く場合が多い。こうした構造の下で、独立性が保てるだろうか。

相次ぐ会計不祥事の発覚後、議会はアメリカの金融市場に対する投資家の信頼を確保する必要性を認識した。議員たちは、厳しい規制によって真の独立性を実現するという左派の考えについて議論してもよかったし、監査の正しさを保証することを義務づけるという右派の案について議論してもよかった。それでも彼らは、会計業界とアメリカ企業から圧力を受けて妥協した。