日本経済新聞の名物連載「私の履歴書」。現在連載中の石原邦夫氏(東京海上日動火災元社長)について、経営学者の楠木建氏が「桁外れにつまらない」と評して話題を集めている。どこが“桁外れ”なのか――。

1カ月の連載でその人のセンスを知ることができる

日本経済新聞文化面の連載読み物「私の履歴書」を習慣的に読んでいる人は多い。僕もその一人だ。大きな事を成した人々が自らの仕事と人生を振り返る。一人で1カ月連載が続くのがいい。その波乱万丈の人生をゆっくりじっくりと追体験できる。

春の叙勲で旭日大綬章を受けた東京海上日動火災保険の石原邦夫元社長。(写真=時事通信フォト)

経営者が登場することも少なくない。学者という仕事柄、経営者の自伝が勉強になるということもあるのだが、僕が「私の履歴書」を読む動機は、それ以上に功成り名を遂げた人々の「センス」を知ることにある。

その人のセンスはスキルを超えたところにある。あれができる、これができる、といっているうちはまだまだ。本当のプロとは言えない。余人をもって代えがたい。ここまでいってはじめてプロといえる。そうした人々は例外なくその人に固有のセンスを持っている。長きにわたる仕事生活の積み重ねの中で練り上げられてきた「スタイル」といってもよい。

スキルが「どれだけできるのか」という程度問題であるのに対して、センスやスタイルは「あるか、ないか」。ある人にはあるけれどない人にはない、としか言いようがないものだ。しかも、センスは千差万別。特定分野のスキルを持っている人は、みな同じように「できる」が、センスの中身は人によって大きく異なる。スタイルとはその人をその人たらしめているものの正体であり、これこそがプロの仕事の絶対にして最後の拠り所となる。

アーティストのほうが経営者よりもむしろ面白い

こうした僕の興味関心からして、広義のアーティスト(芸術家、作家、俳優、学者など)の「私の履歴書」のほうが経営者よりもむしろ面白い。何らかの「芸」でその道を切り拓いてきた人々なだけに、センスにもコクがある。

例えば横尾忠則氏。ご本人の紆余曲折ももちろん読ませるのだが、それ以上に横尾氏が出会った人々の描写が抜群に面白い。スタイルのある人は他者のスタイルについても感度が高い。とりわけサルバドール・ダリとその夫人のガラとの邂逅のエピソードには痺れた。

この一心同体にして特異なカップル(ダリには存命中に「私の履歴書」に登場してほしかった)は「センスとは何か」を考えるうえでまたとない素材を提供してくれる。僕もこれまでダリについていろいろな本を読んでみたが、横尾氏による短い回想ほどダリ&ガラの本質を浮き彫りにした文章を他に知らない。連載されたのはずいぶん昔(1995年)だが、今でも細部まで覚えている。