「終わった入試のことを悔やんだってしょうがないよ」
彼女は母親とやってきた。ふさぎ込む彼女とは正反対に、母親はあっけらかんとした態度。
「もう終わった学校の入試のことを悔やんだってしょうがない。もし桜蔭が不合格だったとしてもお母さんは(これから受験する)豊島岡も鷗友(鷗友学園女子)も好きなんだから、どこかに入学してくれればそれで満足!」
母親のその豪快さと笑顔に彼女は救われたようで、その日は遅くまで塾の自習室で翌日の豊島岡受験に向けて過去問の見直しに取り組んだ。
翌2月2日。わたしは豊島岡の校門前で彼女ら塾生を激励。付き添っていた母親は、「豊島岡って本当にすてきな学校ねえ。入試が始まるまで学校見学しちゃいましょうか」と冗談交じりに屈託のない笑みを浮かべていた。彼女からは前日の悲壮感漂う表情はすっかり消えうせ、意気軒昂として入試会場へ向かっていったのである。
豊島岡受験組の激励を終え、わたしはすぐ近くにある喫茶店で暖を取ろうとその扉を開けた。
そのとき。
喫茶店の奥の席で、涙をハンカチで拭っている女性と目が合った。そう、彼女の母親だったのだ。
喫茶店の奥の席で涙を拭っていた母親の「胸の内」
母親はわたしにこんな話をしてくれた。
「あの子が桜蔭に憧れて塾で勉強を始めたのは小学校3年生からでした。わたしはあの子のがんばりをずっとそばで見てきたからこそ、なんとかして桜蔭に合格してほしいと願い続けてきました。だから、昨日のあの子の落胆する様子を見て、わたしは胸が張り裂けそうなほどつらかった。その本心をあの子に見透かされてはいけない。平然とふるまうことが一番の応援になると考えたのです。でも、豊島岡の入試会場に入っていくあの子を見届けたら、わたしの糸がどこかで切れちゃったみたい。先生、こんな情けない姿をさらしてごめんなさい……」
プロフェッショナルな母親とはこういう人のことだとわたしは脱帽した。
彼女の安定した成績、常に前向きな学習姿勢は母親の薫陶のたまものだと合点がいった(なお、彼女は桜蔭に無事合格、進学をした)。そうなのだ。子を合格へ導くために母親はときとして「女優」に変身することも大切なのだ。