こうした現象を、愚かだ、と一言で切り捨ててしまうことも、もちろん可能だが、しかし、この段階で終わらないところに『列子』の真骨頂はある。
先ほどの話は、次のように続くのだ。
今度は、胡子という第4の人物が登場し、こう論評する。
「富子の言うことは間違っている。
人には、やり方を理解していても実践できないタイプがいるものだ。
衛という国に算術のうまい男がいた。亡くなる時、秘訣を息子に伝授した。息子はそれを一通り覚えたのだが、しかし、使いこなすことができなかった。
ところが、ある男が息子に秘訣を尋ね、息子が教えてやると、男は亡くなった父のように、それを使いこなしてみせた。同じように、死んでしまった人間が、不老不死の術を知らなかったなどと、どうして言えるだろうか」
ここで『列子』が言いたいのは、おそらく次のようなことだ。
人はみな、それぞれ長所と短所を持った存在だが、なかには「理屈」や「理論」の方は得意だが、「行動」や「実践」はさっぱりというタイプもいる。
そんなタイプに「行動」や「実践」の有無といった評価軸を当てて、信用度を測っても意味がないのではないか――。
「言行不一致」で何が悪い、これが弱者の味方、『列子』のスタンスなのだ。