若い頃の自分と比べない

仕事をしている人にとっては、「最近疲れがとれなくなったな」「さすがにこの歳になると徹夜は厳しいな」と思うことはあっても、そこまで「老い」を直接的に感じる機会は少ないかもしれません。

『プロトレイルランナーに学ぶ やり遂げる技術』(鏑木 毅著・実務教育出版刊)

しかし、アスリートは、毎日の練習で「老い」を突きつけられます。かつては、いとも簡単にできていたトレーニングもこなせなくなり、「あれができなくなった」「これもできなくなった」と日々悲しい現実を突きつけられます。肉体が衰えるのはしかたのないことだと頭ではわかっていても、どうしても若い頃の自分と比べてしまうのです。

僕にとっては、40歳のUTMB3位のときのトレーニング日誌がずっと心の拠り所でした。しかし、年々衰えていく肉体で、あの当時と同じ練習をしていると、かえって毒になることもある。当時の自分にとってはベストなメニューでも、いまの自分には必ずしも合っているとは限らないわけです。

それを痛感したのが、45歳のときの2回めのレユニオンで、あのとき失敗したから、過去の自分に対する執着を手放すことができたのです。それ以降、僕は過去の自分と比べて「できない」ことにフォーカスするのをやめました。「つい3、4年前までこんなことは軽くできたのに……」と悪いほうにとらえてしまうと、さすがに誰でも落ち込みます。

そこで「こんなこともできなくなったんだ、ハハハ……」と心の中で笑い、「それなら、こんなふうに鍛えてみたらどうかな」「こうすれば、同じような効果があるかも」と、あえて試行錯誤を楽しむようにしたのです。いまではすっかり達観して、別のアプローチを探すことに創造的な喜びを感じるようになりました。

いまの自分にフィットするやり方を探す

決して「老い」を全否定するのではなく、かといってむやみに「老い」に抗うわけではなく、いままでとは違うものとして、「老い」との付き合い方を模索する。

過去の成功体験も、いままでのやり方も、すべていったんリセットして、もう一度ゼロから一つ一つ積み上げて、いまの自分にフィットするやり方を探していく。

かつては走ることでフィジカルを鍛えていましたが、いまは自転車で追い込んだり、水泳で追い込んだりしています。妻がバドミントンの選手だったので、一緒にバドミントンをやったりして、さまざまな種目を組み合わせてトレーニングしています。そこを楽しめるかどうか。息の長いトップ選手は、きっと、似たようなことを日々楽しんでいるに違いありません。