読売の「政権擁護」の主張はもう読み飽きた
一方、同じ3日付の読売新聞の社説は、中盤でこう主張する。
「首相復帰から間もなく7年目に入るが、守りに入ることは許されまい。漫然と目の前の課題の処理に追われるようでは、国民の間に『飽き』が広がろう」
「長期政権ゆえの緩みや驕りが目立つ中、内閣全体が緊張感を保ち、優先順位を付けて政策を遂行することが重要である。その努力を怠れば、内閣は直ちに失速することを、首相は肝に銘じるべきだ」
読売新聞の社説としては、安倍首相にかなり厳しく注文をつけている。
続けて読売社説は「政権の総仕上げを果たすためには、来年夏の参院選を乗り越える必要がある。今秋から来年にかけて、国内外の懸案を確実にこなすことが大切だ」とも主張する。
これがいけない。政権の総仕上げはあくまでも国民の信頼をしっかりと得られてのことである。
信頼獲得ができなければ、解散総選挙となり、安倍政権に代わる新政権が誕生する。
それが政治や政治家の運命であり、何も大新聞が安倍首相や安倍政権のために主張を繰り返す必要はない。ここが読売新聞が「政権擁護」と言われてしまう理由だ。
1人の読者として読売新聞の政治担当の論説委員に言いたい。政権擁護の主張はもう読み飽きた、と。この論説委員は、1面にあった橋本氏のコラムをどう読んだのだろうか。
甘利氏の「復権」を徹底追及する朝日
アンチ安倍政権の朝日新聞の社説(10月3日付)は、半本だった。見出しも「信頼回復には程遠い」と手厳しい。
書き出しでも「総裁選で支持してくれた派閥にポストで報いる。『政治とカネ』の問題を引きずる側近も、党の要職に据える。こんな内向きの人事では、政治や行政への信頼を取り戻し、難しい政策課題に取り組む足場を固めることなどできはしまい」と強く批判する。
「内向きの人事」とは言い得て妙である。
朝日社説は「党人事で見過ごせないのが、金銭授受疑惑で2年前に閣僚を辞任した、盟友の甘利明・元経済再生相を党4役である選挙対策委員長として『復権』させたことだ」とも指摘する。
さらに具体的に訴える。
「甘利氏はきのう、『私、秘書とも刑事訴追されていない』と釈明した。確かに、検察は不起訴処分としたが、あっせん利得処罰法はかねて抜け道の多いザル法と指摘されている。何より、甘利氏が当時、説明責任から逃げ続けたことを忘れるわけにはいかない」
朝日社説が主張するように、甘利氏には説明責任がある。そんな人物が選挙対策委員長では自民党の参院選での勝利は期待できない。
朝日社説は「来年の統一地方選、参院選で国民に広く支持を求める立場についた以上、甘利氏には改めて、納得がいくまで丁寧な説明を求める」と甘利氏をとことん追及する。
新聞社説には国家権力に対抗しようとする強い意識が必要だ。ときに朝日社説は過激に走ることもある。読者に対する説得力を失わずに論を展開していってもらいたい。