戦後生まれの「京菓子」ながら、25店を展開
夏休みに国内を旅行して、現地の土産を買った人もいるだろう。日常生活から解放された観光地では、つい財布のヒモも緩みがちだ。
とりわけ国内屈指の観光地である京都は、観光客も多ければ、消費する金額も多い。数字で紹介すると、府内観光入込客数は約8687万人、同観光消費額は約1兆1887億円となっている(2017年/京都府調べ)。
京都には独自の茶菓子が多く、それらは「京菓子」とも呼ばれる。「八つ橋」(八ツ橋)のような100年を超える老舗商品が目立つなか、1963年生まれの“新参者”で存在感を発揮するのが、鼓月の「千寿せんべい」だ。通常価格は1枚129円(税込み)。ギザギザの外見で、中にシュガークリームが入ったクッキーのような洋風せんべいを、「食べたことがある」という人は多いかもしれない。
現在、同社の直営店舗は25店(関西22店、関東3店)あり、年間売上高は約42億5000万円だ。1945年創業の“新顔”は、なぜ成長できたのか。同社4代目の中西英貴社長に経営哲学を聞いた。
「業界の不文律」を気にしなかった
「当社を創業したのは、私の祖母・中西美世です。夫が戦死し戦争未亡人となった美世は、生活のために、お菓子づくりを始めた。後発ゆえに信用がなく、多くの困難に直面しながら、持ち前の負けん気と斬新な発想で事業を成長させました。その遺伝子が現在も受け継がれています。私が小さい頃、祖母はよく『悔しかった』と話していました」
たとえば当時の和菓子業界では、意表をつくような、チョコレート風味の和菓子「チョコレートまんじゅう」を売り出し、人気を呼んだ。看板商品「千寿せんべい」を発売したのは55年前、まだ和菓子にクリーム味は珍しかった。鼓月が元祖となり、和風「ヴァッフェル」(ドイツ語で「ワッフル」)と呼ばれるこの形は、競合からも類似品が発売されている。