鉄貿易で財を成し、教育、芸術にも関心を持つ

どうしたらこれだけのアートコレクションや常識破りの美術館経営が可能なのか、あまりに謎です。しかし。オーナーである谷本氏のキャリアを知れば、その謎はすぐに解けるものでした。

オーナーの谷本勲氏(写真=ディマシオ美術館提供)

もともと谷本氏は、戦後の変動相場移行期に先駆的に国際市場から鉄の輸入貿易を始めた、業界では知らない人がいないほどの人物です。

また教育分野でも日本で初めて外国大学日本校として文部科学省の認可を受けて開設された「テンプル大学日本校」の開業にも、理事長として尽力し、自立経営が可能なレベルまで軌道に乗せるなど、多方面で活躍された実業家でもあったのです。

草原の広がる、新冠町の国道沿い(写真=筆者提供)

谷本氏は長年に渡り世界中からさまざまな作品を収集しましたが、それらの一部が新冠のディマシオ美術館に展示されています。

谷本氏は「ホンモノの経営をすれば、僻地にある美術館であろうと自主運営は成り立つ。補助金をもらい、赤字を垂れ流し、毎年さらに多くの補助金をもらうのはニセモノの経営だ。ディマシオ美術館を見ていただければ、地方であっても美術館を単独継続する道はあるのが分かる」と語ります。

さらに「約束を守る」ということを谷本氏は強調します。

谷本氏はディマシオ本人に「あなたの美術館を作る」と約束したことを全うするため、ふさわしい地を探し、開業しました。また、初めて廃校に来た際に会った入植者の老夫婦からは、「(この地を)どうにかしてくれ」と手を握り懇願されたそうです。谷本氏は、その手を握り返して町の再生を約束。みごと美術館へと生まれ変わらせました。今でも美術館の前には老夫婦が耕している田畑が広がっています。

ディマシオ美術館の外観(写真=ディマシオ美術館提供)