きっかけは『企業参謀』の英語版の出版だった
思えばマハティール氏との出会いは35年以上前。彼がニューヨークの書店で私がプレジデント社から出版した『企業参謀』の英語版『マインド・オブ・ザ・ストラテジスト』を手に取ったことがきっかけだった。自分で連絡してきて「この本に書いてあることをウチの国でやってくれ」と頼まれた。18年に及ぶ付き合いの始まりだった。
マハティールという政治家の何が素晴らしいかと言えば、ビジョン・ドリブンな姿勢である。「こういう国にしたい」という長期的ビジョンを定めて、ビジョンで政治を駆動していく。ニッパヤシの小屋に住む人々が適切な住宅に住めるようにしたい、が最初のリクエストであった。90年代になってからは私が描いたICT時代のビジョンや戦略をすぐに共有して、同じ絵を見ることができた。だからとても仕事のしがいがあった。
もし、再びマハティール氏からアドバイザーを頼まれたらどうするか。もはや昔のように付き合う元気はないが、アドバイスするとしたら「人材育成」である。
かつて私はサイバーで勝負できる国にならなければマレーシアの将来はないと考えて、「マルチメディア・スーパー・コリドー」というICT構想を練った。今またマレーシアの将来を見据えたとき、AIが人間の頭脳を凌駕する45年のシンギュラリティを見据えて、世界のどこにいても活躍できる人材を育成しなければならない。
もちろん日本の課題も同じなのだが、日本の政治家の反応は鈍い。マハティール氏なら打てば響くように理解して、コンピュータにはできない人間の能力開発を目指した教育を国家戦略の要とする大号令を発するに違いない。
(構成=小川 剛 撮影=市来朋久 写真=AFLO)