自称「未婚のプロ」。東京都文京区生まれの45歳。ジェーン・スーさんは、いま最も勢いのあるラジオパーソナリティだ。2011年に初めてラジオで話して以来、どんどんファンが増え、2年前からTBSラジオで自身の名前を冠した番組を月曜日から金曜日まで毎日放送している。そんな彼女が「父と娘」をテーマにしたエッセイ集を出した。個性の強い老父と独女は、過去とどうやって折り合いをつけていったのか――。(第1回、全3回)/聞き手・構成=矢部万紀子
聞き手の矢部万紀子さん(左)とジェーン・スーさん(右)(撮影=プレジデントオンライン編集部)

私は母の「母」以外の横顔を知らなかった

――最新刊『生きるとか死ぬとか父親とか』は、2016年の元旦、スーさんとお父様の墓参りのシーンから始まります。お墓に入っているのは18年前に64歳で亡くなったお母様。本を書き始めた当時、お父様は77歳、スーさんは42歳。赤いブルゾンが似合い、今も女性に人気のお父様は、幅広くビジネスを展開し、株で損をして「スッカラカンになった」そうですね。波乱万丈なお父様のことを書こうと思ったのは、どうしてですか。

昔から、父の小さなエピソードを話すといろんな人が面白がってくれました。そういう「面白コンテンツ」だという自覚はありました。ですが実際に書こうと思ったのは、この人のことを何も知らないまま終わってしまうのはちょっと切ないと思ったからです。

母が亡くなり、父も年をとりました。私は母の「母」以外の横顔を知らないことを悔いていて、父では、そういう後悔をしたくないと思ったのです。

ただ普通に話を聞いても、お互い喧嘩になったりして長続きしないだろうなと思ったので、連載という形を取り、記録していくことにしました。実際に話を聞き始めてみると、一番近い肉親のはずなんですけど、こんなに知らない人だったのかという発見がありましたね。戦争の話も初めてきちんと聞きましたし、仕事の心がけ方などを聞いて、私の仕事の仕方も知らないうちにこの人に影響されてるんだなと思いました。

基本的にセンチメンタルな感じがあまり得意ではない

――「ほんの十年前まで、父は全盛期の石原慎太郎とナベツネを足して二で割らないような男だった」と表現されています。可愛い暴君ぶりが明るく綴られる一方で、「この男にひどく傷つけられたこともあったではないか。もう忘れたのか」といった厳しい表現も折に触れ出てきます。緩急織り交ぜた筆致は、意識したのでしょうか?

特に作戦があったわけではないですね。基本的にセンチメンタルな感じがあまり得意ではないというか、それよりも人生って、笑えないことほどおかしいじゃないですか。

父の疎開先、沼津での空襲の話が象徴的ですよね。小学校1年で終戦を迎えた父は、私が「終戦」と言うと「敗戦」と訂正します。家だけでなく、庭に植えていた茄子までも焼けた、でもその茄子を家族で食べたと父は空襲の翌日のことを笑って語り、聞きながら私も笑いました。現実にはとても笑える話ではないですが、笑えるのは、生命力だと思うんです。我が家の力だと思いますね。父はいまだに焼き茄子、大好きですしね。