父ではなく「うんと年の離れたお兄さん」

――空襲の夜、家族で逃げる途中でリヤカーに乗せたおばあさんを松林に置き去りにする話には驚きました。掛けていた白い布が敵機から見えて危ないと言う人がいたのですね。

その話も、ケラケラ笑いながらしてましたね。でもぽろっと、「ああいう非常時にはガタイが良くて声の大きい奴が主導権を握るから気をつけろ」とか、「みんな一方向に逃げていたけど、そっちの方向が正しいかどうかは誰もわからないんだ」なんて言うんですよ。現代にも通じる言葉ですし、覚えておこうと思いました。そういう言葉をたまにくれる人なんです。

ジェーン・スー『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮社)

同時に私の中で父に関して、触れられたら非常に痛いというか生々しいところもあって、それが時々厳しい感じの文となって顔を出す、そんな感じだと思います。

――「我が家にはお父さんは居ないの。うんと年の離れたお兄さんと、あなたと、お母さんの三人家族よ」という生前のお母様の言葉があります。真面目半分、ふざけ半分で言っていた、と書かれていますが、この辺りも生々しい部分でしょうか?

物理的に父親は存在するのですが、威厳ある父親的な存在については、子供の頃からずっーと不在感を持っていました。父は「年の離れた稼ぎ手のお兄さん」って言われるのが一番しっくりくるぐらいのポップさでしたね。

「家族とは没交渉で蚊帳の外のお父さん」とは全く違うんです。コミュニケーションは取ってました。でも「父の役割」と世の中で設定されているものがある中で、それも時代によって変わるでしょうが、あの頃の父は「ちゃんと稼いでお金を入れる」ということ以外、あまり役割を果たしていなかったと思うんです。それはあくまで私の記憶してる限りですが、母から聞いたエピソードを思い出しても、真剣に父親、家族をやってはいなかったと思うんですよね。

それでも父は、母に対して「お父さんは、お母さんが大好きだ」みたいなことをよく言っていました。今回、父の話を聞きながら、2人の間に愛情があったとして、それはどんな愛情だったのだろうか。そんなことも考えましたね。