父親の不貞行為を書いた「怪文書」

――お父様の不貞行為を書いた「怪文書」が取引先に送られた話が出てくる章が印象的です。スーさんは「誇張はあるが、事実」と明るく認めますが、同じ章で「我が家のどん底」というものに触れながら、「いつか書かなければならないが、いまは気力が足りない」とだけ書いています。

実家を撤収した2008年の夏のことです。思い出すと砂を噛むようなって言うんでしょうか、苦虫を噛み潰したって言うんでしょうか、とにかく非常に苦しい気持ちになるので、えいやと取り掛かるまでに時間と覚悟が必要だったんです。連載時にはそこまでの気力がわかず、あの章でああいうふうに触れるのが精一杯でした。

だいぶ原稿が揃ってしまい、本にまとめるには書くしかないというところまで来て、やっと書きました。

母の死後、私も会社を辞めて父のビジネスを手伝いましたが、どうにもならず、小石川にあった自宅兼会社を手離すことにしました。その時のことです。30代後半の父が建てた4階建てレンガ作りのビルでした。私が幼稚園の年長から住んでいた家を撤収するために膨大な荷物を片付けた日々は、魂が吸い取られるようでした。

ジェーン・スーさん(撮影=プレジデントオンライン編集部)

100万円を超すミンクのコートまであった

――「小石川の家」とタイトルがついた章に、その夏のことが書かれています。スーさんとお父様、亡きお母様の人生が交錯し圧巻でした。お母様の衣装ケースから正札のついたままの大量の洋服が出てき、100万円を超すミンクのコートまであったという描写には息をのみました。

なんやかんや言って我が家はうまくいってると思いたかったのですが、やっぱり正札がついたまんまの洋服がいっぱい出でくると、さすがにそうは問屋が卸さなかったというか、ハッハッハという感じではありますね。母が気を紛らわせなければやっていられないほどの寂しさを感じた時もあったというのは、私自身認めたくなかったことではあります。

それについて書いたこと、母に申し訳なかったという気持ちも多少あります。知られたくなかっただろうし、亭主が外で何をやってようが、大きく構えた人と思われたいというプライドもあったと思いますから。

母はおしゃれが大好きなひとでした。服はたくさん持ってたんですよ。だけど、押し入れから出てきた服はすべて、正札が付いたままでした。必要な服ではなかったんだと思います。浪費を好む人ではなかったので、ショックでした。レベルは全然違いますけど、仕事の後にすごく疲れて駅について、コンビニでいつもは絶対買わないプリンを2個買った、そういうのの大きな金額バージョンだと思います、あれは。「買う」ことで紛らわせたというか。