米国国内でも、数々の大学に設置される「孔子学院」の活動は、「中国共産党体制に都合の悪い題材は扱わない」という忖度を要求することで「西方世界」流の「学問の自由」の土壌を浸食していると認識され、対中警戒感情を呼び起こしつつある。こうしたまなざしの変化は、中国自身の対外姿勢における「傲岸」や「増長」に促されたものであるとはいえ、「西方世界」諸国が自らの拠り所を改めて確認しようとしている状況を表しているといえる。
西方世界の美風を守る「難しい道」を行く覚悟を
筆者が示したように、梅棹忠夫が「第二地域」と位置づけた「専制・強権」志向国家群(中国・ロシア・北朝鮮など)からの挑戦に対して、「第一地域」に当たる日本と「西方世界」諸国の自覚と結束を説く議論は、冷戦期の共産主義諸国に対する「封じ込め」思考の焼き直しに映るかもしれない。しかし、ロシアや中国、北朝鮮が、共産主義イデオロギーの表装を纏(まと)おうと纏うまいと、元来「専制・強権」志向の文明圏域に属した事実を確認することは、大事である。特にロシアや中国が、経済発展を経て「西方仕様」の国々になると期待された冷戦終結後30年の歳月の後、「西方世界」諸国が思い知らされるようになっているのは、この事実なのである。
加えて、冷戦期の「封じ込め」思考にしても、それを最初に具体的な対外政策として立案したジョージ・F・ケナン(歴史学者)に拠(よ)れば、その本質は、米国自身が、自由、民主主義、人権といった「自らの美風」を護持する姿勢に他ならなかった。米国を含む自由主義世界は、自らの「美風」や「健全性」を護ってこそ共産主義の波及に対する「塞き止め」(containment)を行える。それが、ケナンの認識であった。
外の世界に「敵」を設定して、それに対決しようとする姿勢に走ることはやすいけれども、「自らの美風を護持する」姿勢に徹することは、難しい。今、日本や「西方世界」諸国の人々に問われているのは、さまざまな動揺と内憂がある中でも、この「難しい道」を往(い)かんとする確信や覚悟といったものであろう。
国際政治学者。東洋学園大学教授。1965年生まれ。北海道大学法学部卒、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。衆議院議員政策担当秘書などを経て現職。専門は国際政治学、安全保障。著書に『「常識」としての保守主義』(新潮新書)『漢書に学ぶ「正しい戦争」』(朝日新書)『「弱者救済」の幻影―福祉に構造改革を』(春秋社)など多数。