第一に、すでに折々に指摘されたように、ドナルド・J・トランプの登場、英国のEU(欧州連合)離脱、独仏両国やオランダ、オーストリアなどにおける「極右」政治勢力の台頭、さらにはスコットランド(英国)やカタルーニャ(スペイン)における「独立・分離」志向の動きの再燃は、「西方世界」諸国における動揺と内憂を印象付けている。こうした動揺と内憂は、結局のところ、「西方世界」諸国が拠(よ)る民主主義体制下で、国民の「統合」が何によって担保されるのかという問いに関連している。

トランプに代表されるように、現下の内憂を演出する政治群像の多くは、多分に自らの権勢を拡張し保持するために、「統合」よりも「分裂」を促す言動に走っている。民主主義体制下の各国政府は、国民の「統合」を担保するために権威主義体制下のような「強権」に頼ることはできないし、経済発展や福祉政策に伴う「果実」を常に潤沢に国民に提供できるとも限らない。

「西方世界」諸国の国民の「統合」を担保するのは、「自由、民主主義、人権、法の支配の尊重」といった普遍的な価値意識、そして国旗、国歌、歴史認識に表される各国固有の価値意識である。しかし多くの人々は、その意義を普段から切実に意識しているわけではない。日本や「西方世界」諸国を特色付ける信条や価値意識が、人々にとって「失って初めてありがたみがわかる」類(たぐい)のものに近くなっている事実にこそ、その動揺と内憂の本質がある。

対中姿勢を修正しはじめた「西方世界」諸国

第二に、特に中国の経済隆盛を前にして、従来、日本や「西方世界」諸国は、対中経済関係を過剰に考慮するあまりに、自らの信条や価値意識とは相容れぬ中国の文明上の「異質性」にあえて眼を背け、微温的な対中姿勢を続けてきた。そのことが、日本や「西方世界」諸国の「弱さ」と「堕落」を招いたといえよう。中国主導のAIIB(アジア・インフラ投資銀行)創設の際、英独仏3カ国を含む「西方世界」諸国が示した反応は、その事例である。

もっとも、直近に至って、こうした「西方世界」諸国の微温的な対中姿勢は修正されつつある。たとえば、2月中旬に開催されたミュンヘン安全保障会議の席上、ジグマール・ガブリエル(当時、ドイツ外相)は、中国が推進する「一帯一路」構想を「中国の国益に奉仕する」枠組と断じた上で、「中国は、西方世界モデルに対抗する包括的にして体系的な代替モデルを展開している。それは、われわれのものとは対照的に、自由、民主主義、人権を土台としていない」と喝破している。